2015年11月13日金曜日

佐木隆三「三つの墓標」


佐木隆三氏が亡くなった。
とてもショックだった。
佐木氏のオウム幹部ひとりひとりの丁寧な描写を読んで、信者にも、それを見つめる作家にも、人間らしいものを感じることができた。オウム事件に、より興味をもつきっかけになった。
謹んでご冥福をお祈りする。

「三つの墓標」は、副題が「小説・坂本弁護士一家殺害事件」で、「小説」ならフェイクも結構入っているのかな。微妙かも、と思っていた。
しかし、佐木氏が傍聴したオウム裁判など綿密な取材に基づく内容だった。
坂本弁護士一家を殺害した実行犯6人の、ひとりひとりの入信のきっかけや経緯、心情が掘り下げられているのが興味深い。そこには憶測も含まれると思うけど、どうしてこのような事件に至ってしまったのか、とても考えさせられる内容だった。
6人それぞれの検察調書が掲載されていることも、興味深い。これは、小説ではなく本物の調書なので、6人それぞれの陳述を読み比べられる。

1989年11月4日深夜 事件当時、実行犯は以下のメンバー。()はホーリーネームと呼ばれる教団名。年齢は当時。
早川紀代秀(ティローパ大師 40歳)
新實智光(ミラレパ大師 25歳)
村井秀夫(マンジュシュリー・ミトラ大師 30歳)
岡崎一明(アングリマーラ大師 29歳)
中川智正(27歳)
端本悟(22歳)

中川さんと端本さんは、このとき入信したてで、事件後にホーリーネームを与えられることとなる。
純粋に求道をしていた若者たちが、なぜ殺人に至ったか、本書にはたくさんのヒントがあった。

殺された坂本龍彦ちゃんは、生きていたら27歳になる。今のわたしと同世代だ。
事件発生当時から6年間、失踪事件として扱われていたため、一家3人はどこかで生きていると信じられて、度々報道されていた。その6年間の記憶は、わたしの中になんとなくあり、今もこの事件について聞くと、暗く、重たい、恐怖のようなものを感じる。
死刑囚の支援をはじめた今でも、考え続けていきたい。

2015年10月29日木曜日

ひかりの輪の実態ほんと引く

最初からおかしいなーと思っていましたが、やっぱりおかしいひかりの輪。

もう自滅するのでしょうと言われているので、ヤッターと思っています。

おすすめされた、官報(号外第23号2015年1月)を取り寄せて読みました。
公安調査庁による、ひかりの輪とアレフについての観察処分継続についてのレポが読めます。


麻原隠しをしても、バレバレのようです。


外部監査も認められてないし、滝本弁護士も過去のブログで書いていましたが、どうも高齢者の年金を搾取しているようです。あかんやろ。

このことを指摘されたためか、高齢者の年金があてにできなくなり、最近、目に見えて「聖地巡り」が増えました。
参加費を搾取する魂胆だと思われます。

旅行法違反では不起訴になりましたが、ツイッターでのこのやりとりには違和感をいだきました。
ひかりの輪の聖地巡りは、HPなどで紹介している限り、現地集合アリで参加費は一律です。参加費は参加者の交通費や宿代に消えるのかはわかりませんが、様々な場所からの参加者が現地集合したとしても、一律なのはおかしいです。あまったお金はどこへゆくのでしょう。それはひかりの輪の報酬になるのではないでしょうか。
旅行法自体がちょっとグレーゾーンのある法律なようなので、今回立件は難しかったようですが、「報酬を受け取っていない」というのはおかしいと思います。


最近、ツイッターでひどい誹謗中傷を流されていましたが、やり方的にひかりの輪の工作員なのかな〜とも思っています。自分が傷つくので一切見てないのですが、聞くところによるとわたしの友人の振りをしたりもしているようで、驚きました。誰一人として友人じゃないし、LINEもメールも顔も知りません。
「わたしが嘘つきだというなら、その証拠を直接ください」とずっと言っているのですが、提出いただけないので、おかしいなと思っています。

そんなわたしのことはどうでもいいですが、ひかりの輪に苦しめられている、辛い思いをされている方は、ぜひ周りの人や相談機関に相談してください。

わたしはさくらねこさんとずっとお話ししたいです。メール待ってます。

ToshI「洗脳」


みなさますでにご存知かと思いますが、今更ながら読みました。
想像以上に壮絶でした。
ホームオブハートの倉淵透(MASAYA)と守谷香から、12年にも渡り、壮絶な暴力、暴言を浴びせられ、洗脳されていたToshIさんのすべてが綴られています。
優しい顔で近づいて、個人の尊厳をずたずたに切り裂いて、お金を搾取し・・・
MASAYAや守谷が、何食わぬ顔でホームページなどを未だに公開しているのもすごい。検索してゾッとしました。
ToshIさんが「アゴ」と呼ばれまくってるのもひどい。
守谷が入院した病院へ迷惑をかけまくっているのもすごい引きました。
感覚が全然違います。
いるんですね・・・こういう人って・・・サイコパスっていうんですか。
また、守谷に暴行を受けるToshIさんの前で、ブクブクと太ったMASAYAが、食べきれないほどの料理を頬張っているのは、なんとなく麻原を思い出さずにはいられませんでした。

紀藤弁護士のあとがきに、「洗脳事件は交通事故のようなもの」という言葉がありました。
ToshIさんの場合、歌手としての生活がうまくいってなかった矢先にHOHと出会って騙されてしまった。被害者側が弱っていると見られると、搾取対象にされてしまうようです。
他人からお金は借りない、困ったら友人か相談機関へ相談する、どんな時も一人にならないで、抱え込まないことが大切なんじゃないかなと思う今日このごろです。

2015年10月12日月曜日

小野一光「家族喰いー尼崎連続変死事件の真相」


こんな恐ろしいオバちゃんや若い人らが乗り込んできたらどうしたらいいかフローチャート


従う→オバちゃんのだんなとの子供を産まされ子供をオバちゃんにとられる→犯罪に巻き込まれる→逮捕、自供

従う→歯止めが効かなくなる→逮捕→再犯を目論む

従う→洗脳される

逆らう→暴行を受ける→殺される

家族呼び出し→監禁、暴行→殺される

逃げる→養子縁組で身内になっているため、住民票や捜索願で連れ戻される→殺される

懲りずに何度も逃げる→何度でも連れ戻される→殺される

女友達に匿って貰う→連れ戻される→無理やり結婚させられる→殺される

警察に相談する→「民事不介入」と言われ取り合ってもらえない

強面大将に匿ってもらう→追っ手が来る→大将が追っ手を叱る→通報する→来なくなる


改めて、沢山の犠牲者がでたことに驚いた。
虐待され、亡くなられた方はお年寄りが多い…
自分より上のものには従い、下と見たら服従させる。
大人も子供も関係ない。
本当にひどい。


世の中どういう人がいるか分からないから、自分からしたら異常だと思っても、彼らにとっては普通のことということも沢山ある。

大きな声と暴言暴力で、ずかずかと自分たちに危害を加えられそうになったら、とりあえず、お金を一銭も払ってはならない、また暴力を受け入れてはならない。恥ずかしくても、迷惑に思われても、なるべく沢山の周りに相談するということが大事だなと思った。

弱気な態度を見せたら、付け入れられる。

わたしが子供の頃、目の前で父が変な人に絡まれたことがある。
普段は温厚で真面目な父、どうするのか見ていたら、その人の胸ぐらを掴み、叱りとばした。
そうしたら変な人は逃げていった。
皆吉敏二(仮名)さんを匿っていたお店の人も、角田ファミリーが来た時、彼らを叱り、警察に電話したら、来なくなったという。
良い人を取り込もうとする人たちがいる。気をつけなければ。

2015年10月7日水曜日

見沢知廉「囚人狂時代」


獄中の様子がわかるということで読んでみました。
壮絶でした。
人はこれほどまでに、残酷になれるのでしょうか。
なれるのでしょうね。
わたしも今まで、どれほど、残酷になったかわかりません。
しかし、その中にいてみえる優しさを追いたいです。

見沢知廉さんの追った獄中の人たちは、精神疾患を抱えた人が多いです。
わたしからみても、統合失調症、認知症、発達障害などさまざまな病気を感じました。
しかし、彼らはきちんと治療もされていませんし、社会復帰もままなりません。
どうなんでしょうか。

見沢知廉さんが亡くなっていることもはじめて知りました。
生き辛い世の中・・・きっとわたしより、何倍も、それを感じていたのだと思います。

2015年10月5日月曜日

承認欲求

この頃、人に話を聞いてもらえないことがある。

わたしは何もそのように言っていないのに、一方的に「あなたが悪い」「あなたがこう言った、嘘つきだ」などと主張されるのは、そのような事実がなくても、突然のボディブローをくらっているようで辛い。

確かにわたしには、悪いところもある、無意識に嘘になってしまってるところもあると思う。でもそれは、みんな持っていることだ。世界に、悪いことをしない、嘘を一度もついたことない人がいるだろうか。いない。ただ、皆、漠然とそういう人物像を目標としている。

「承認欲求」という言葉を知った。

承認欲求とは、簡単にいうと人から認められたい欲求だという。
人間は、衣食住だけでは生きていけない。コミュニケーションがないと生きていけない。

わたしは長いこと、このコミュニケーションということが理解できていなかった。
俗にいうコミュニケーション障害者。そして今も多分、理解できていない。

承認欲求が自分にあるのかどうか、検討してみた。

承認欲求が強い人の特徴は寂しがりや
人からツイッターで反応をもらったり、LINEがくると無条件で嬉しくなる。
わたしはこの人から、忘れられていないと感じることができる。
ただ、あまり注目されるととても恥ずかしくなる。

目立ちたがりなのもの承認欲求が強い人の特徴
目立ちたくない。声を大にして言いたい。目立ちたくない。路肩の石になりたい。
でも好きなことを夢中でやっていて、気づいたら自分のようなことをしている人がいなかったことがよくある。これはあなたにしか頼めないから、と言われるのがとても苦手だ。他の人に代わってほしい。
ツイッターでも、リプなどを自分からするのがとても苦手だ。無視されたら悲しいし、「やっぱりわたしなど無視されるに足る存在だ」と気づかされる。自分でもこんなこと考えているの、重くてキモいと思う。

ストレス解消でバランスをとっている
このようなわたしが、社会生活やSNSなどのコミュニケーションから、ストレス解消につながることはない。優位に立ちたくない、みんなちがってみんないいと思いたい。あと草とかになりたい。

相手の話を聞かないくせに同意ばかり求める
相手のお話はよく聞くように努力している。しかし自分の理解力がついていかないこともある。一度話された言葉、一度読んだ文章について、すぐ反応しようと努力するが、後になって内容の解釈や自分の表現したかったことが違うと感じることがよくある。

求めてないのに自分語りをはじめる
自分語りなど断じてしたくない。でも聞かれたら、ちゃんと答えようと思う。ついつい話すぎてしまったかもしれないと反省することもある。どこまで話していいかわからなくなることがある。

すぐに相手のせいにする
相手のせいにできない。結局、自分がこの世に生まれ落ちたのが悪いのだという結論に至る。

家族、身内を大切にしすぎる
このようなわたしと仲良くしてくれる人を、他の人にバカにされたら戦いたくはなる。

基本的に仕事は頑張る
頑張っているのかはちょっとわからない。

他人をよく褒める
わたしは他人を感心したことでしか褒めないつもりだけど、その後の文章が気になった。周囲の人のことを、知らずにキャラ付けして自分を守っていたかもしれない。
閉じられた世界で自分がある意味女王様みたいになってゆくのが怖かった。どうしてこの人はこう考えるのだろうとか、どうしてあの人はこうしたのだろうとか、そう考えて、こっちから勝手にキャラ付けして・・・そんな自分がいやで怖かった。基本的に他人との距離が分からないのだ。


結論、わたしは逆承認欲求、認められたくない、消えたいという欲求の方が強い。
なんじゃそれ。
妄想に取り付かれた人間は、その妄想に付き合うより、話題を変える方がいい。
わたしも話題を変えよう。好きなことを考えよう。好きな音楽を聴こう。


渡辺 脩, 和多田 進「麻原裁判の法廷から」

冤罪と信じる人が多かった奥西勝さんが、獄中死された。

名張毒ブドウ酒事件の奥西死刑囚が死亡 再審請求中:朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/ASHB27V75HB2OIPE03G.html

悲しい。

10月2日は、フォーラム90による「響かせ合おう 死刑廃止の声2015」というイベントがあった。
https://www.amnesty.or.jp/get-involved/event/2015/1003_5520.html
わたしの大好きな、辛口講評の死刑囚の表現展も開催されていた。
行きたかった。今は体の自由がきかない。「オウム」「死刑囚」と聞いたらすぐイベントへ飛んでってた頃が懐かしい。
死刑制度については、一概に大反対とは言えない。
単に死刑囚と知人だから反対したい、という気持ちもない。
彼らには、常に自分の罪と向き合っていてほしいと思っている。
人が人を裁くことはおこがましいと思う。目には目をという考えも古いと思う。
国際的にも批判があるというが、諸外国と比べて日本の司法はどうなのだろう。
いろいろと考えてしまう。
そんな中、奥西さんが亡くなった。
奥西さんの再審をしないことで、被害者も、加害者も、誰も得をしない。得をしたのは、司法側であり、その行程も結果も間違っているとしか言いようがない。わたしたちの税金は、間違っている人たちの間違っている行程と結果に使われてしまった。

多数決、名誉、権力で正義が決まってしまうのだろうか。
でもわたしはその正義を覆すことができない。無理だ。
情報を知ること、発信すること、考えることなら出来る。
幼稚で世間知らずでも、やらないよりマシなのかもしれない。
いろいろぐるぐる考える。



1998年出版。
麻原裁判において、弁護人をつとめた渡辺脩弁護士と、ジャーナリストの和多田進氏の対談形式の本。

出版年が古いけど、今読むと弁護の現場の臨場感が伝わって来る。
「もうこういう判決と決まったからこうだ」という見方はしたくない。
どのような方針で、麻原氏を弁護しようとしたのかをうかがい知ることができた一冊。


印象が強かった部分
①弟子たちが事件を実行したことと、麻原氏が命令を下したところが有機的に結びつかない。
②坂本弁護士が失踪した同年から岡崎一明氏をマークしていたのに5年放置したなど、警察の怠慢。
③リムジン謀議を井上証言のみで立証するのは難しい
④重要な幹部だった石川公一氏が何も語らず消えた、無罪なのはおかしい

①について。
これこそまさに、宗教的観点から見るべき視点だった。
オウム真理教では、弟子は、グルに全て・・・行動も、転生をも委ねることとされていた。グルが殺人を命令したら実行すべきだ、という説法も何度もされていた。一見、理解できないことを平気で実行するに至る心理、マインドコントロール、時に洗脳・・・という観点からみると、麻原氏の罪は十分に立証される。


②について。
警察は、坂本弁護士事件でも松本サリン事件でも怠慢し、オウム真理教を止めることができなかった。高橋シズエさんは、国松元警察庁長官から坂本事件が早く解決していれば、と責められているが、我々が事件にもうちょっとつっこんでいれば、と思う。その通りだと思う。どうしようもない。警察としては一言も弁解しようがない。(脱カルトシンポジウムでの発言 http://akaneyamada03.blogspot.jp/2015/05/2013622.html)と言われたという。


③について。
さらに、井上氏は一貫して「リムジンの中ではサリンをまくことと決まってない」と主張している。他に謀議をしていたメンバーは故村井氏を除き語らない。難しい。


④について。
石川氏については、あまり資料がないのでわたしも分かりかねている。
重要な幹部だったのかもしれないし、違うのかもしれない。
でも何も話さず主張せず、無罪放免で所在知れずなのはちょっと無責任なのかもしれない。
NHKの未解決事件という番組で、麻原の説法テープを寄贈したのが石川氏だという噂がある。あくまで噂である。NHKがあの番組で活かせたかというと、微妙といったところだけども。


現在の解釈とは少し異なる、弁護人からの視点が興味深かった。



こちらの本の方が、主張がまとまっているかも。



参考リンク:滝本弁護士ブログ「麻原さんの答え-沈黙」
http://sky.ap.teacup.com/takitaro/1605.html

2015年9月29日火曜日

死刑囚とネット

わたしの知るかぎりの、オウム死刑囚のネット露出のリンク置いておきます。
ちなみに、オウム死刑囚はネットが出来るという噂?があるようですが、東京拘置所の独房にはPCもスマホも持ち込めません。
でも、支援者を通してネットの情報を得られる方も、当然ながらいます。

●広瀬健一さんの手記
http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/hirosesyuki.html
長いですがとても読み応えがあります。


●新實智光さんの短歌
http://unitykibou.blog10.fc2.com/blog-entry-1.html
死刑囚交流誌「ユニテ希望」
短歌や健康法など、最近はあまり寄稿していないようですが、バックナンバーをさぐると出てきます。
小菅太郎と仮名になっていたりしますが、本文では伏せられていないので、掲載していいのかちょっとよくわからないです。


●中川智正さんの俳句
「ジャム・セッション」という同人誌でのみ公開されています。
一部の句はこちらで読めます。
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/4e280da538a5a5e6243ff3bafc1a4103


●宮前(佐伯・岡崎)一明さんの絵
http://koumiyamae0404.wix.com/0404blueeyes#!gallery/c240r
個展会場絶賛募集中だそうです。生で見た方がいいです。


●井上嘉浩さんの詩
http://yoshi392.sakura.ne.jp/si.html
定期的に更新されています。




他にも情報ありましたら、お寄せいただくとうれしいです。

2015年9月28日月曜日

ひかりの輪だめじゃん

ツイッターでひかりの輪にツッコミを入れては笑うことが趣味になっている今日このごろ。わたしの灰色の毎日に、笑いをありがとう。

と思っていたんですが、情報を集めれば集めるほど笑えなくなってきたぞひかりの輪。

わたしは上祐さんの本は一応目を通しましたし、上祐さんのトークイベントに行ったこともあり、ひかりの輪のHPはちょっと迷路じみているのでさらりとしか目を通していないのですけども、一応、むやみに批判をしているわけではありません。
さらに、滝本太郎弁護士や、やや日刊カルト新聞の藤倉総裁、他にもたくさんのオウム報道に関して有名な方、関係者の方達が、ひかりの輪を批判しているので、どっちかというとアカン団体なんだろうと思っていたのですが、本当にアカンです。
さらに、実体験も伴いました。→過去記事:ひかりの輪がわたしにしたこと
入会とかしようとしてる方、やめよう!

で、最近、アカンと思った情報です。

●その1 個人攻撃が激しい



こちらはとある元会員さんのfacebookの記事についた、上祐さんのコメントのほんの一部なのですが、えっ・・・常識的に考えて、個人の記事にこんなに書きます・・・?荒らし・・・??
わたしが見つけただけで、こういう大量コメントが何個もありました。
しかもよく読んだら(読んでも意味わかんないんだけど)、わたしや、塚田穂高先生(この件)の悪口書いてあります。しかもしかも、上祐さんは「事実と正反対」と書いてるけど、わたしも塚田先生もそれぞれ証拠となるものupしてますが、事実と正反対なことを言ってかどわかすのは、ひかりの輪の方なんですよん〜

これはちょっと不快でしたねヽ(・ω・)/



●内部告発続々
麻原隠しの出来る大人の過激派
こちらのページに詳しいのですが、わたしは、はじめこのHP見ても、当事者同士の言い合いみたいになっていたので、何が真実かわからなかったのです。今もわかりませんけども。でも、いろいろと教えていただいて、このページに書いてあることは、嘘ではないんじゃないかなぁ、と、思うに至りました。
上祐さんがアレフから分裂するとき、信者さんといろいろとモメたようです。
でも、一部の信者さんや信者でない一般の方は、アレフの過激思想から距離を置いて、反省を忘れず、謙虚な姿勢で、脱会者の受け皿となり社会との接点にもなれると信じて、ひかりの輪を見守っています。
しかし、今現在ひかりの輪は地域住民とさえ融和できていません。設立から8年ほど経ちましたけども。
もうこの住民に関する一点が証拠だと思うのですけども、地域住民に、きちんと真摯に謝罪して、自分たちの存在をわかっていただこうとする、たとえ罵声を浴びせられ、水道を止められても、自分たちが正しいと思った仕事をたんたんとこなして、声明を無視されるなら何度でも渡せばいいじゃないですか。道のゴミ拾いから始めたらいいじゃないですか。むしろブッダってそうじゃん。
旅行行ったりギャル集めてる場合じゃないですよ。

※ブログの書き主:ディオゲネスの樽さんから訂正をいただきました
私の書いた文章で訂正があります。公安の立ち入りのでの「押収」と記載しましたが、正確には「閲覧」です。公安調査庁には押収権はありません。予め資料を立ち入り検査前に会員に預けていたら違法ではありませんが、かなり問題のある行動だとして告発しました。


●外部監査委員会がへん
ひかりの輪外部監査委員会
これ本当にびっくりしたのですけども、河野さんはじめ外部監査委員の方達は、今年は一度も監査してないようです。この中身スカスカなHPもすごいです。ひかりの輪の方の文章って、全般的に「結局何がいいたいの」って言いたくなりますね。
「河野義行さんが外部監査委員長だ!すごおい!」で終わりじゃないですか。全然河野さんのご意見が載っていない。河野さんが来ました、河野さんが聖地巡りに同行されました、あとちょっと賛同的な一言をちょこちょこと入れたのみ。
そんなはずはないです。河野さんのご意見が、もっともっとうかがいたいです。
さらに残念だったのは、ひかりの輪広報の下の方に、上祐さんと水野さん、それぞれ河野さんがみえたことについて、ブログに書いている記事がなぜか消されています。

まとめ
「自分たちが批判されたら敵意むき出しにする」
「都合の悪いことはなかったことにする(その割に背中丸出しですが・・・)」
「人の言葉尻を捉えて言い換え、どうにかして自分を優位にする」

こんなことを感じました。

ちなみに、この記事はけしてひかりの輪を無作為に批判しようと思って書いたのではありません。
ちょっと調べてみたら、なんかこういう風だったので、信用できない〜
という嘆きです。


本日は以上です。

2015年9月27日日曜日

現実主義のわたしによるおすすめ本のラインナップ

どんな事件や事故にも言えるけども、真相や事件の闇などというものは分からない。
ひとりひとりの視点はそれぞれ違う。
その人にみえないものはみえないし、みえるものはみえる。
ある人にとって都合のいいことでも、ある人にとっては全く目に入らない。

わたしはもともと、スピリチュアルが理解できる人ではない。
朝テレビの占いで「今日はラッキーデー」などと言われても、5分後にはそんなこと忘れている。
「ケガをしてしまうのは、あなたのカルマです」と言われても、「だからどうせいっちゅうねん!」とチョップをかましたい。

現実に起こった結果はもう変えられないので、起こってしまった現実に対してどう対処していくかという前向きな考えをしていたい。
そのためのパワーとして、原因を突き止めるのは、心が癒されるのでいいと思う。

でも、原因や真相を突き詰めようとすればするほど、何も見えなくなる。
原因や真相はほどほどでいいのだ。大事なのは今。


というわけで、わたしはいろいろな関係者の視点を知りたいと思って、
なるべくいろいろな本に触れたい、いろいろな人にお話を聞きたいと活動してきた。
そんな中でいろんな視点に触れられる本をご紹介したいと思います。


●実行犯視点



2005年出版。オウム初期から関わりの深かった、死刑囚早川紀代秀さんと宗教学者の川村邦光教授の共著。早川さんの正直な描写や葛藤がみえる。




2001年出版。無期懲役囚で地下鉄サリン事件実行犯、林郁夫さんの手記。
誠実な郁夫さんの人柄がみえる。だが、なぜ彼だけ無期懲役なのか、疑問が残る。


●ジャーナリスト視点


2004年出版。カルトスリーとも自称する、青沼陽一郎氏の傍聴記。
独特でおもしろい視点で、読みやすい。



1997年出版。江川紹子氏の著作は、どれも女性らしい優しい気持ちと、情熱で満ちている。




降幡 賢一によるオウム法廷シリーズ。麻原だけでなく、さまざまな幹部の傍聴記録が確認できる。

それにしても、ほとんどの本が絶版なので、探すのが大変。


●元信者視点



1996年出版。元信者の高橋英利氏による手記。
彼がどのようにオウムへ入信し、村井秀夫など科学技術省の幹部を中心に関わっていったかが興味深い。自身のポエミーなブログが2012年で更新が止まっていて、少し心配。




1996年出版。元信者の田村智氏と住職の小松賢壽氏の共著。
「麻原はただのおっさんだ」と法廷で言い切った元信者。ユーモラスに書いてあって面白く読みやすい。

●娘視点

2015年出版。三女アーチャリー、松本麗華さんの手記。



2010年出版。四女さんの手記。

どちらも何かが嘘だ本当だと論争があるが、お二人の境遇には涙なしには見れない。


●麻原国選弁護人視点


2004年出版。渡辺脩弁護士著。
このあたりまで読んでいると、麻原氏について自分がどれだけ理解が浅かったかを痛感し始める。


●被害者視点

1998年出版。地下鉄サリン事件被害者の会による手記集。




1999年・2001年出版。村上春樹による被害者、元信者たちへのインタビュー集。



他の記事に紹介した本ももちろんおすすめ。
どの本が真実を語っているとか、どの人がどうとかという検証は、わたしはもうしない。個人的な感想も省いた。
以前も書いたが、「オウム真理教」と名のつく本を片っぱしから読むことをおすすめする。

2015年9月21日月曜日

宗教情報リサーチセンター「オウム真理教を検証する そのウチとソトの境界 線」



地下鉄サリン事件20年目は、色々なことが本人の中で時効になったのか、様々な情報が飛び出す。
事件当初、裁判当初から分かっていたけれども、マスコミによって捻じ曲げられた情報も、より真実に近い状態で発信される。

宗教情報リサーチセンター・井上順考氏は、情報時代のオウム真理教 などオウム真理教について優れた著作を今までにいくつも出してきた。

それらの情報が最新にして最強に集合したのがこの一冊といえる。

すごくおすすめです。20年目にして最強の入門書!



この本の優れた点は、総勢10名の執筆陣からなる多視点からオウム真理教・オウム事件について論じられているところである。

第一章 藤田庄市先生による「麻原言説の解説」
藤田先生といえば、オウム真理教事件 (ASAHI NEWS SHOP)  宗教事件の内側―精神を呪縛される人びと などで著名なジャーナリストの先生。ネイキッドロフトでは、カルトスリーとしてトークした。
この第一章で、麻原が教団の前身団体設立当初から、反社会的野望を持って組織へ君臨しようとしていたことを当時の説法の紹介を中心に語られる。

第二章 高橋典史氏「引き返せない道のりーなぜ麻原の側近となり犯罪に関与していったのか」では、新實智光さん、早川紀代秀さん、広瀬健一さんの三名を主に取り上げ、彼らが「なんの不自由のなさそうなそれまでの社会生活」を全てなげうち、なぜ側近として引き返せない行為へ及んでいったのかが論じられる。
特に「宗教事件の内側―精神を呪縛される人びと」でも取り上げられていたが、この章でも、ブレないでおなじみの新實さんが主に取り上げられ、入信当初から現在に至るまで、頑なに信仰を捨てずに生きていることが問題定義される。
新實さんは、けして特異な存在ではないと感じる。
わたしの知人にも、未だにカルト信仰を捨てられない人は何人かいる。
彼らが真剣に語ることは、はたから見たらカルトで、わたしですら簡単に論破できるけど、彼らは「でも・・・」と言ったまま口をつぐみ、現状を維持しようとする。
わたしは彼らについて、色々な考えが巡る。過去に人を信じられないなにかがあったんだろうか?他に大切なものを見出せないのだろうか?失礼ながら、病気だろうか?発達障害だろうか?・・・
でもそんなことを、第三者であるわたしが考えても仕方のないことなのだ。
彼らは存在し、わたしと仲良くできるところがある。それでいいんじゃないか。仲良くできない、イラっとしたからって排除しようとも思わない。もうお付き合いやめようかな?くらいの気持ちになるくらい。
気持ち悪い、下賤、いやらしい・・・そのように感情的に排除しようとしたら、あとになにが残るのだろう。
カルト信仰者は、極論に寄っている。対するわたしも極論に寄ったとしたら、なにも生まれない。結局はバランスをとろうとすることが大切だと思う。(かといって完璧なバランスなどとれない。)

第三章は、藤野陽平氏による「疑念を押しとどめるものー脱会信者の手記にみるウチとソトの分岐点」
第二章よりもう少し身近にフォーカスされ、世の中にたくさんいる脱会信者についての章である。脱会者による手記は、カナリヤの会、滝本太郎弁護士、家族の会永岡氏の息子さんを中心に、村上春樹 約束された場所で―underground 2 (文春文庫) などでも述べられる。この本、全体を通して優れている点は、優れた著作が満遍なく紹介されている点といえる。出典が明らかになることで、より詳細を知りたい人はその本を読めば良い。ちなみにわたしはストーカーされたので、カナリヤの会の本はもう読みたくない。
脱会信者で、一生懸命社会復帰されている人も何人もいる。しかし同時に、社会復帰が難しい、精神的な病に悩まされたり、悲惨な状態にある人もいると聞く。形だけ脱会していても、信仰を持っている人もいる。わたしたちは、その現状を知るべきであると思う。

第四章は、井上順考氏による「科学を装う教えー自然科学の用語に惑わされないために」。
麻原は「オウム真理教は、宗教を科学する!」とドヤ顔でよく言っていた。どゆことやねんと思っていたが、ダルドリシッディをする信者の脳派を測るとか、アンダーグラウンドサマディをするとき空気量と呼吸量を測っていたとか、そういうことをやり、結果をドヤ顔で本にしたり、機関誌で発表したりした。しかし当然のことながら、記録は改ざんされている。こんなのに、超伝導の最先端研究者だった広瀬健一さんが騙されていたのだから、本当に手に負えない、一筋縄ではいかない手品をしていたのだと思う。
この章では、理系出身の信者が多かったことなどに焦点をあて、彼らがどのように騙されていったのか、彼らの思考回路から解き明かされていくので大変興味深かった。
全ての事象を科学で説明しようなんて、奢りも甚だしいことだ。

第五章は、矢野秀武氏による「暴力正当化の教えに直面したときー何をよりどころに考えるか」。
「洗脳」と「マインドコントロール」の違いは、暴力があるか否かで例えられることがある。暴力を伴うマインドコントロールが「洗脳」であると。
オウム真理教は暴力を肯定した。「ヴァジラヤーナの考え方が背景にあるならば、これは立派なポワです」という迷言が有名だ。ポワというのは、もともとはチベット仏教による魂を引き上げる儀式。人に暴力をしても殺しても、「尊師」がやるなら「ポワ」になる。これは信者にとってはむしろありがたいことなのですよ、というのが言い分だ。アホか。
なんJやツイッターで、素早くネタにする現代の若者の方がステージが高いと思う。

第六章では、平野直子氏、塚田穂高氏による「メディア報道への宗教情報リテラシーー『専門家』が語ったことを手がかりに」である。
オウム事件とメディア論は、切っても切り離せない。そんな報道でよかったの?ということがたくさん出てくる。そしてさらにこの章では、待ってましたの中沢新一・山折哲雄・島田裕巳批判である。
現代にオウム真理教を調べようと思った時、当時の空気がわからなくて、また当時週刊誌でされたであろう論戦もわからない。この章では、当時の宗教学者がどのようにオウム真理教にコケていったかが、わかりやすく論じられている。

第七章、井上氏による「学生たちが感じたオウム真理教事件ー宗教意識調査の16年間の変化を追う」。
地下鉄サリン事件から20年、いまや当時生まれていない、記憶がないレベルの学生が大多数だ。そこを狙って現代のオウム(アレフ・ひかりの輪)も、勧誘をしかけてくる。他のセクトも。学生のみなさまは是非注意してもらいたい。
オウム真理教の関心の度合いなどが、統計で論じられ問題定義されていて、大変興味深い章の一つだった。

第八章 井上まどか氏による「今なおロシアで続くオウム真理教の活動ー日本とロシアの平行現象」。
ロシアオウム、キター!!と言わざるをえない。
最近このブログを読んだわたしにはなおさらである。もう全然ロシアのオウム(ロシ輪)元気じゃないですか。大丈夫ですかねこれ。

特別寄稿は、高橋シズエ氏による「地下鉄サリン事件遺族の20年」。
村上春樹氏の アンダーグラウンド  にあるように、被害者の存在、考えは絶対に忘れてはならない。

以上、全体を通していかにこの本がおすすめであるかを記してみた。
やはりオウム真理教事件は、宗教的なものと有機的に結び付けないと理解が難しい。
最後に、井上氏によるあとがきから。

それぞれの宗教の素晴らしい点については、その信奉者が説いてくれる。幸せなことに、現代の日本は、歴史のあるなしにかかわらず、個々の宗教が自分たちの主張を自由になせる国である。どのような主張にも耳を傾けたい人は傾けることができる。宗教系の学校はそれぞれの建学の精神にもとづいて、その宗教の理念を教えることができる。ところが、公立学校や一般の私立学校では、それはできない。では現代宗教については何も教えなくていいのだろうか。少なくとも若い世代が陥りがちな危険性については、前例を示して注意を喚起することくらいは必要ではないだろうか。「さわらぬ神に祟りなし」とか「臭いものに蓋」といった態度ばかりでは、日本における宗教文化の望ましい展開にとってもマイナスであろう。



本日は以上です。

2015年9月17日木曜日

佐木隆三「大義なきテロリストーオウム法廷の16被告」



わたしは、オウム本を選ぶ時まず出版された年月を見ます。
古い本だからといって読むに値しないというわけではありません。
ただ、その時の事件や裁判経過の背景を知っておかないと、流れがわからないというか、なんとなく落ち着かないので・・
ちなみに、オウム真理教年譜 に元幹部である12名の死刑囚の方達の確定年月日を追加しておきました。

佐木氏の本は元幹部たちの人間性を物語のように紡いでゆくのが魅力です。
この本は、オウム信者16被告それぞれの裁判をなぞって書かれています。
しかし、2002年に出版されたこともあり、オウム裁判はまだ終わっておらず、情報が不確かな部分もあります。

広瀬健一さんが、事件後のショックのあまり声が出なくなり、それでも出廷し続けたのが印象的でした。
ボリュームがあるけどとても読みやすいです。

2015年9月11日金曜日

伊東乾「さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗った同級生」


自宅にある本をかたっぱしから見直してみよう。
と思ってリビングにオウムの本を積み上げたら、夫にいぶかしげな顔をされた。

わたしは、オウム真理教ってなに?と聞かれたら、まずこの本をおすすめしています。

地下鉄サリン事件実行犯である豊田亨さんの同級生の筆者が、親友としてみた豊田の素顔、どうして空中浮揚などの神秘体験といわれるものが起こるのか、出家システムとは、麻原の世界観とは、全部この本を読んだらわたしの中に論理的に落ちたからです。

こんなエール文も見つけました。
上野千鶴子「イトケンシュタインの冒険」





さて、タイトルと上記とは加藤茶のブログ並みに関係ないのですが
元少年A 公式ホームページで公開した自作イラストと全裸写真 許せますか

元少年Aさんの公式ホームページをご覧になられたでしょうか。
今落ちてるんですかね。
わたしは見てしまいましたが、アーティストな人なのかなーと思いました。
今はアウトサイダーっぽいですが、芸大や美大で、技術を学んだらそれなりのアーティストになれそうな片鱗を感じます。実際、ダリやユトリロ、ゴヤ、日本なら太宰治とか・・・精神病を患っていたアーティストはたくさんいます。元少年Aさんも、猫を殺してしまう前に、なにか自分の作品に向かえなかったかと悔やまれます。
ちなみに精神病に働きかける、図画工作などの手作業を作業療法といいます。ちゃんと作業療法士という国家資格を持った職業の人もいます。
少し変わってるかな、おかしくなってるな、という子供を大人がちゃんと感じ取って、適切に対処してあげれる社会になったらいいなと思います。
わたしが以前聞いた話で、授業中に陰鬱でシュールな絵を描いた中学生の男の子が、その翌日に自殺したと。どうして指導教諭は、その子のSOSを感じ取ってあげられなかったのかというお話がありました。

ところで、この記事にもありますが「許せますか」とは、世間に言ってるのでしょうか。
許すか許さないかは、被害者の方たちが決めることだと思います。
この事件は、被害者の方たちは元少年Aさんを全く許していません。これはわたしたち世間が知っているべきことです。
しかし、仮に世間もが許さなかったら、無意味に憎悪が増幅してゆくだけなんじゃないかなーと思います。
少数の病気や、社会的にハンディを持っている人たちを排除・攻撃するだけの社会になってしまったら、結果的に排除された側が「健全で普通な人たち」を攻撃することもあり得ます。
嫌悪感があるなら、関わらなきゃいいんじゃないですかね。

2015年9月10日木曜日

塚田穂高「宗教と政治の転轍点 保守合同と政教一致の宗教社会学」



個人的にお勧めな本について、「本」ラベルで綴っていきたいと思っていたのですが
わたしの表現力が乏しく、感想は基本的に「この本、よかった!お勧め!」しかないのです。

でも、本を読んで事件を学ぶことはとても大切です。
いろいろな本が出ていて、いろいろと情報をおさえた上での考察がお勧めです。
わたしは、事件に興味を持ってから、図書館やamazonでかたっぱしから「オウム」「麻原彰晃」と検索してヒットしたものを読んできました。

この本は、2015年4月に発売されました。
地下鉄サリン事件から20年を迎えてから出版される本は、なにやら今までの本とは違う雰囲気があります。
この本は、タイトルからわかるように、オウム真理教だけではなく、新興宗教・新新宗教など様々な宗教と政治を絡めて論じられています。

第6章 オウム真理教=真理党ーシャンバラ化の夢想、ハルマゲドンの回避ー にオウム真理教について論じられています。
オウムの裁判の結果では、「麻原は参院選落選をきっかけに武力革命に思想を転じた」とされていますが、「麻原彰晃の誕生」にもあったように、麻原は、1984年に「オウムの会」を立ち上げ、その翌年には「地球が危ない」「ハルマゲドンが起こる」など「ムー」や「トワイライトゾーン」に記述し、麻原自らが神に選ばれた存在であることをアピールするとともに、反社会的思想も見え隠れしていました。

 オウムと麻原には、その当初から、その運動(政治進出)を方向づけるような強い国家・社会観、ユートピア観といった理念が確かにあり、繰り返し表明されていた。本章では、そのことを明らかにし、それと政治進出との連関を示したい。(本文より)

オウム真理教の歴史・事件を宗教的・政治的に丁寧に紐解かれた記述で、大変興味深い内容でした。


2015年9月4日金曜日

般若心経を椎名林檎風に訳してみた

観音菩薩は、深遠な知恵でおつしゃつた

人の本質は 心身を構成してる五つの要素 いづれでもなきや
それを教えてあげましょう

舎利子よ
形あるものは実体がない
実体がなきゆえ一時的な形あるものなのです

また 形あるものは実体無きものであり
実体なきことが形あるものなのです

心はどれも おなぢ働きをするやうです

舎利子よ
世の中 あらゆる存在や現象 皆んな実体なんてありません
ならば 生じた 滅した 皆んななきものなのです

よごれたもの
きよらかなもの
増えるもの
減るもの

そんなものは あって無いのです

実体がないということは
形もなくて

感覚
思想
意思
知識もないし

身体
精神もない

触覚
心にふれるものもない

受容される眼識意識 あらゆる分野もない

悟りに対する無知もない
無知がなくなることもない

ついには老と死もなく
老と死がなくなることも消え失せる

苦しみもその原因も
それをなくすことも
そしてその方法も なきことなのです

知ることもなければ 得ることも御座いません
かくて 得ることもないのだから

悟りを求め 知恵の完成に住む これこそ

かくて 心は何のさまたげもなく
さまたげもないから恐れもないのでしょう

あらゆるおそろしい考えから
遠く離れているので
わたしたちはもう しづかに眠るだけ

過去・現在・未来にゐる覚者たちは
知恵を完成することによって
この上ない悟りを得るのです

故に
知恵の完成こそ 偉大な真言
悟りのための真言
極上の真言
この世のすべて

あらゆる苦しみを除き
虚妄ではなく 真理
さあ 知恵の真言をうたひなさい

"往きて往きて 彼岸に往き
彼岸に到達したもの
あなたこそ 悟りなのです"


めでたし。


2015年9月3日木曜日

拘置所墨塗り事情

死刑囚交流誌「ユニテ通信 希望」でたびたび話題にあがっていますが、わたしも「墨塗り」に何度か遭遇したことがありますので、それについて記したいと思います。

ちなみに、当然ながら、わたしはどの死刑囚と知人であるとか、誰と会ったとか誰の資料を持っているとか、交流者を知っているとか、プライバシーなども含めてそういうことは一切公開するつもりはありません。
なので、フェイクも入れて書きますのでご了承ください。
疑問質問などは直接メールなどいただけたら。(akaneyamada@gmail.com)


死刑囚の猪熊氏は不当な郵便物の不許可や手紙の墨塗りに対して、強く抗議し、訴訟をしています。(詳細は上記リンク「国賠訴訟」関連で。)あまり有名な話ではないかもしれませんが、家族や友人との、何でもないやりとりが「他の死刑囚の名前が入っている」などの法律に規定もされていない謎理由で読めなくさせられるのは、おかしいのではないでしょうか。というお話です。


確定死刑囚は家族と決められた交流者しか面会と直接の手紙のやりとりができません。
家族や交流者以外の人物が家族か交流者を通してメッセージを送ったとしても、「伝言」とされ不許可となります。
例えば「父です。元気ですか。幼なじみのAさんもおまえ(死刑囚)のことを心配してたぞ。」
と実父が書いたら「幼なじみのAさんもおまえ(死刑囚)のことを心配してたぞ。」の部分だけ伝言とみなされ抹消されるという原理です。

わたしはそれを聞いて、
「せっかく事件を体験した生き証人がいるのに、話を聞けないなんて勿体ない!」
と心底思いました。
マスコミの取材すら受けられないのです。
(テレビに登場する確定死刑囚からの手紙は、すべて家族や交流者を通してのものです。)
滝本弁護士も講演などで「死刑囚との交流が難しい」とこぼされていたのは、こういうシステム故と思います。

わたしも直接の手紙のやりとりはしたことはありません。
ただ時々、交流者の方のご厚意で、わたしの書いた誰宛でもない文章を送付していただくことはありました。(パンフレット・資料のような扱いで)
その中で、最近遭遇した墨塗りは以下のようなものでした。

まず墨塗りや不許可となる大前提で、「規律秩序を害するおそれ」となるということでした。
「おそれ」の中には、法律で
①刑務事故をあおる
②施設内の秩序をおびやかす
③風俗上問題のある描写
④犯罪の手段

以上いずれかと規定されています。


その中で墨塗りされた文章のおおまかな内容は以下です。

・裁判の傍聴に行ったこと
・友達のこと
・事件についてのニュース番組でのコメンテーターのコメント
・わたしの感じた事件についての所感


どこも刑務事故にならないし、秩序もおびやかさない、エロトークでもないし、犯罪の手段も書いてません。
あくまで感じたことを感じたまま、事実を事実のままに書きました。



墨塗り事例は他にも、またわたし以外でもたくさんあります。
このように、正直、謎なところで墨塗りされてしまいますというお話でした。

2015年8月24日月曜日

2015年8月22日 オウムと死刑を考える シンポジウム 3

前回

安田弁護士:
事実を知れば知るほど、理性的に物事を捉えられると思います。まだまだ、これからも努力が必要ですね。

<ここで有田議員にヘイトスピーチの話題がふられましたが、ヘイトスピーチについてはよくわからないのでメモれませんでした。>

安田弁護士:
それでは「4 オウム事件と今日の日本」というテーマへ入ります。
そもそも、麻原さんとは、詐病なのでしょうか。

松本さん:
父とさいごに会ったのは、2006年・・・7年以上前のことです。
声すら発さない。発している音はあるけども、綺麗に発声はできない。
わたしに気付いてくれない。
面会室内で、突然大きな音をたてて、刑務官や面会者はみんなびっくりしたのに、父だけなんの反応もありませんでした。赤ちゃん以下だなと思いました。
生きていない、崩壊しちゃったんだな、と。
仮に詐病なら、父は神だなと思います(笑)

安田弁護士:
(笑)

有田議員:
あるジャーナリストが、麻原さんが、判決の日に退廷する時、両脇の刑務官に「立ちたくない」とダダをこね、刑務官が持ち上げ、引きずるように連れて行ったと書いていましたが、麻原さんの横についていた刑務官というのは、麻原さんの裁判の最初から判決の時まで一貫して同じ人なんです。その人に、このジャーナリストが書いたことが本当かどうか確かめました。答えは、「ダダなんて一切こねていない、何を言っているのかわからない状況だった」ということでした。
また、森達也さんの「A3」という本がありますが、この本は、文庫版になるとき大幅に加筆修正されていますが、その文庫版に、麻原さんの現状は分からないが、2011年平岡法務大臣が会っている、と書いてありました。本文中、平岡法務大臣は、「会った、というか見た。筆舌に尽くしがたい。」と言ったとあります。これも、わたしは平岡大臣へ直接確認しました。それは、東京拘置所は独房に監視カメラがついているのですが、そのモニタールームを視察し、そこへ一瞬映し出された、監視カメラの麻原さんを見た、ということでした。
また、週刊ポスト4月X日号(メモありません、すみません)に、麻原さんが逮捕された同日の5月16日に、死刑執行がされるのではないかという記事が、法務省関係者からのリークということで掲載されました。これもウソです。
死刑執行というのは、死刑の起案書というものを、法務大臣へ提出され、それにはその死刑囚の経歴などどんな人なのかが書いてあるのですが、それを確認した法務大臣が死刑執行の許可をするという仕組みになっています。麻原さんの死刑の起案書というものは、一度も出されたことがありません。
また、麻原さんが執行されない理由が二点あります。
一点目は、執行をする法務大臣は、強力な法務大臣でないといけません。執行後、SPが一生つくような。
二点目は、死刑囚の精神鑑定が死刑に耐えうるものでないと、ありえません。

安田弁護士:
死刑について、みなさんはどう思われますか。

河野さん:
判決文では、更生の余地なしと言われている人もいますが、しかし、加害者も被害者も、時間とともに変わるものです。更生の可能性が無いことはありません。
死刑の一番の問題は、誤認逮捕、ミスジャッジ・・・つまり冤罪です。人は間違うものです。確実な問題ではありません。

松本さん:
人の命は大切だというふうに、日本では教えられますが、現実には死刑判決があるという矛盾でずっと悩んでいます。
人を殺したとしたら、殺すという刑罰があるべきなのか・・・
ある方が、「命がかけがえのないものとなると、国家が殺人を教えてることになるんだよ」と教えてくれました。
命の重さを、自分を傷つけたから殺していいとか、考え出すと、どんどん、小さい理由でも殺人をしていいという考え方になってしまいそう、と感じています。

安田弁護士:
13人の死刑執行は、日本の将来を決定付けるのではないかと思います。



----------------
書き取りは以上になります。
途中、メモっていなかったり、ちゃんと書けていないところもあると思います。
飽くまででわたしの書き取りということで・・・
もし、加筆修正していただける方がみえたら、ご協力いただけるとありがたいです。

2015年8月23日日曜日

2015年8月22日 オウムと死刑を考える シンポジウム 2

前回

安田弁護士:
松本さんは、事件を知った時の心境はどうだったのでしょうか。

松本さん:
事件の細かいところが明らかになっていく過程で、絶望と、嫌悪感と、信じられないという気持ちの混乱の中にいました。
父以外の実行犯の人は、みんな「犯行をやった」と言っていて、これはしっかり受け止めなければ、いけないんだと思いました。
ある機会に、中川さんのお母さんが、「あれだけのことをしたのだから、普通の死に方では、本人も納得できないでしょう」とおっしゃいました。自分の息子について、そんなことを言うなんて、一体どんな気持ちなんだろう・・・・と、想像した時、それまで、どこか他人事のように感じていたこの事件が・・・わたし一人の問題じゃないことだとすごく思いました。
わたしは、中川さん、みんな、兄のように思っていました・・・(泣きそうになりながら)そういう人たちが、罪を犯していた・・・・・耐えられない・・・・・耐えられないかんじですね・・・・・・・

安田弁護士:
事件と現実があまりにも違って、そのギャップが続いているんですか。

松本さん:
もしかしたら、事件を起こしてしまう人っていうのは、普通の人が、出世欲や何か絡んで、普通より、ちょっとまじめで、ちょっと世の中を変えなきゃいけないと考えるのかなって。そう考えたら、わたしも、となりの人も、いつ何をするか分からない。
人を殺すのは、想像してたよりもずっと・・・・・・紙一重なのかな、と思いました。
一人一人は、本当に、優しい人です。今でも。
でも、彼らは事件にいっちゃって、物ごとを確認する、自分の失敗を受け入れる強さとか、そういうのが必要なんだなと思いました。

安田弁護士:
親子の関係ということで、荒木さん、どうですか。あなたのご両親と、よく会うんですけども。

荒木さん:
知識と、理解、受け入れるということは、段階がありまして・・・
否定したい、ってのもありましたし・・・20年かけて、格闘してきました・・・今も、まだ、納得が得られていないです。弟子として、納得ができません。

安田弁護士:
教祖が話さないと?

荒木さん:
そうですね。

安田弁護士:
それでは、「3 オウム事件後の社会は、どう変貌したか」です。
河野さんは、監察委員もされていましたが、どうでしょうか。

河野さん:
わたしは、オウム事件後、犯罪被害者の基本的な支援体系が、出来てきたと思っています。以前は、犯罪被害者を助ける法律がありませんでした。まだ、遅れてる部分はありますけども。

有田議員:
日本は監視カメラが、全国各地に設置されています。監視カメラの台数は世界一と言われています。
これは、オウム事件以降のことだと思います。
何か特別な団体に、特別な人たちが入って事件を起こした・・・というわけではありません。信者たちは、まじめで、家族思いの人たちです。彼らが入った組織が変質したと考えるならば、わたしたちも他人事ではない。自分たちの家族や友人が、そういうものに関係せず、生活できるかが問題です。
脱会信者の支援を、保健所を拠点にして、しようとしていたことがありましたが、結局政府は何もしませんでした。アメリカの方が、支援や研究をやっていました。
政府がこのまま何もしないならば、別のこういった組織が出てくるのではないかと危惧します。
また、ネットでは、匿名で人を攻撃できることで、憎悪が増幅します。
オウム事件後から、こういう社会に発展してしまったのではないでしょうか。

安田弁護士:
以前はもう少し、自制のきいた社会だったのではないかと思います。

松本さん:
個々人は、受け入れてもいいとしても、受け入れることによって、社会から排斥されることがあります。「自分としては、正しくないけど、ごめんね」と言われることが多いです。
facebookでも、20年経っても、わたしと友達になる、付き合うだけで、付き合う人が切り捨てられるんです。それが難しいです。「あなたには問題はない。だがあなたのバックが問題で受け入れられない」と言われます。これが仕事なら、わたしも生きていけないとなります。

有田議員:
その問題に関しては、オウムの後継団体が、どこまで反省しているかということもあると思います。上祐さんは自分の手記を出しましたが、それに17年もかかった。17年は遅かった。
荒木さんに聞いてみたいんですけども、あなたは教祖から、説法中に、「グルが警視総監の首根っこを捕まえてこいと言ったら、できるか」と教祖から質問されて、「あれ、こんなこという教団って何かおかしいな」と思いませんでしたか。
また、野田成人さんの本も不満だ。「革命か戦争か」とかいうやつ。野田さん自身は、当時、車両相大臣ですか、それが重要なポストなのかはわかりませんが、事件について、ほぼ触れていない内容だからです。
全体として、事件の総括・反省をきちんとしていません。そういうわけで住人たちが感情的になることもあると思います。

安田弁護士:
人は、他人を傷つけなかったらゆるされる、という思想の自由を信じています。サマナ(出家信者)の中で、事件に関与したのは、何百人です。ほんの一部です。やらなかった人、知らなかった人には、責任を負わせてはなりません。
裁判で、「オウムを辞める」と言った人には執行猶予がつき、辞めない人にはもっと重罰があった。これは差別です。


有田議員:
自分は拉致問題もやっているのですが、国際人権基準に、日本は、人権の考え方がおかしいと言われます。これは、国際人権基準が日本政府に申告していることですが、改められません。
在日問題にもおかしい点がある。

安田弁護士:
河野さんは、「相手よりひとつ高度な見方でないと、憎しみが生まれてしまう、それは子供によくないことだ。そういう見方でないと、トラブルは解決しない。」といったことを本に書いてましたね。

河野さん:
松本サリン事件発生時、社会から排除され、犯人扱いされましたが、その時、同時にわたしの家族も、友人も、親戚も、みんな社会から排除されてしまうのです。そうすると、感情がぐしゃぐしゃになります。犯人以外は、普通の人扱いしなきゃならないのに。
行政も差別しています。オウム・アレフ信者の住民票不受理は、市長が判断していましたが、いち市町村が法判断までしてしまっている。これはおかしいですが、こうしたほうが、世間にウケるんです。
この国の人とは、みんなと同じでないと落ち着きが悪い、と言われます。
わたしは、冷静になりましょうよ、とずっと言ってきたつもりです。
そうしたら「お前はオウムの肩を持っている」と批判されたりしますが(笑)
事件での長野県警は、刑事部長一人が、加速していました。
それに対して、課長が止めてたという状況です。警察は縦社会なので。
そういう構図をみると、長野県警を恨めなくなりました。
オウム事件について、今は分からないけど、50年経ったら分かるかもしれない。
人は、喋れない時もあります。長いスパンで、何が真実かを探って、再発防止に歯止めをかけないと、と思います。


つづく

つきまといをされたこと

一部の方に、大変ご心配をおかけし申し訳ありません。
わたしは8/22のフォーラム90のシンポジウムにおいて、つきまといの被害を受けました。具体的には、以前から突然のリプ、DMを送ってくる方がいて、のちにネット上での誹謗中傷、不快なエアリプ、わたしの居住地のツイなどを含んだツイートなどに発展してゆき、困っていたのですが、その方に8/22のシンポジウムの会場で、狭い出入り口前で外から待ち伏せをされ、わたしと友人が会場のビルから出て行くところ、急に外からドアをあけ、狭い出入り口前で完全に立ち塞がられ、「憶えている?」など繰り返し言われ、その方は体格もよく、出入り口は片方が閉まっており隙間もなく、出たくても出れなくなり、非常に怖い思いをしました。
その後、わたしの知人へ被害が発展しそうになりましたので、個人的にメールをさせていただき、わたしの何が気に入らないのか、なぜそのような言動に走るのか、知人への被害をやめて欲しい旨を伝えました。
返事は、知人たちへの配慮もありここでは公表できませんが、一方的で、論理的に破綻しており、完全に、事実無根のことでつきまとい、嫌がらせをしていると判断しました。

例えば、わたしのツイートの何が気に入らないかについて、一部転用します。
>(相手)Twitterで願望か妄想か知らないが話しを盛るとこかな
>>(わたし)ツイッターで話を盛った覚えもありません。具体的にどのようなツイートでしたか。
>>>何?それを一々過去ログから探れと?
>>>>根拠のないことで非難しないでほしいので、こう申しました。
どのようなツイートだったか教えてください。
>>>>>ツイート、鍵付きブロックでもう見れないから
>>>>>見れないとしても、どのような趣旨のツイートだったか教えていただけませんか。
それともはじめから、なかったのでしょうか。
>>>>>だから遡ってツイート見て、これは盛ってると示せばいいの?
>>>>>>わざわざツイートを見なくても、あなたが最初から言っている「盛ってるツイート」の趣旨を教えてくださいと言っているのです。どのような内容で批判されているのかわかりません。しかし、その内容すら示せないなら、事実無根のことなのではないですか。そのようなことを広めようとするのはやめてほしいと言っているのです。覚えてすらいないツイートで、勝手にわたしを批判しているのでしょうか。
>>>>>>>やるならホント一つ一つのツイート検証するよ
>>>>>>>>今の時点で示せないなら、事実無根だと思います。
概要、趣旨だけでいいのですが、それすら示せないのですね。
そういうことでしたら、「わたしの願望と妄想、盛ったツイート」というのは、あなたの空想上の産物、つまりあなたの願望と妄想ということでよろしいでしょうか。
今の時点で、あなたにツイートを見られたくありません。
気持ち悪いので。
今更、検証される覚えもありません。
>>>>>>>>>逆に私が鍵掛けた後にあなたに根拠示せと言って数あるツイートから絞れる?
>>>>>>>>>>何を言っているのかわかりません。
あなたのツイートをどうしてわたしが覚えて示さねばならないのでしょう。(中略)これ以上の議論は無理だと判断します。
気持ちが悪いので、これ以上わたしに関わらないでください。


以上です。
今回のように現実で実力行使のように出られると、わたしは体育の成績がいつも1か2だったこともあり太刀打ちは出来ず、ひたすら恐怖に苛まれてしまいました。人間関係上、フォロワーさんを何人かブロックをさせていただきましたことをお許しください。
また、今回のことで、助けていただいた方、励ましていただいた方、本当にありがとうございました。
次回はじっくりとオフ会にのぞみたいと思っています。

2015年8月22日 オウムと死刑を考える シンポジウム 1





2015年8月22日 オウムと死刑を考える シンポジウム

出演:
松本麗華さん
河野義行さん
有田芳生議員
安田好弘弁護士


シンポジウムに行ってきました。
とても勉強になりました。
以下、重要と思った点の書き取りです。
正確な一言一句ではありません。
省略もあります。
ご了承ください。
また、訂正箇所などありましたら、お知らせいただけるとありがたいです。



----------------------------------


安田弁護士:
進行役をつとめさせていただきます。
今日のテーマは
1 オウムとの関わり
2 オウム事件とはなんだったのか
3 オウム事件後の社会はどう変貌したか
4 オウム事件と今日の日本
です。

それでは、「1 オウムとの関わり」です。
河野さんからおねがいします。

河野さん:
こんにちは。河野です。
1994年6月におきた、松本サリン事件で、オウム事件に関わりました。
この事件で、わたしの妻は心肺停止をし、14年間、意識が戻らず、亡くなりました。妻をいれて、最終的には8人の死者を出した事件になります。
妻は、サリンにより低酸素脳症という状態になりました。これは脳内の酸素濃度が下がり、脳が萎縮していき、最期の方は体温が低下していきました。夏でも湯たんぽをしていました。
わたしの場合は、犯罪被害者として、働けないとか、そういう問題に直面しただけではなく、この事件の二日後に殺人犯になってしまいそうになりました。これは、警察のリークから、マスコミがわたしがやったという印象の報道をはじめ、わたしが入院した2日間で報道が過熱しました。
最終的には、病院もマスコミからわたしを守りきれず、退院してくださいと言われました。退院後、犯人扱いされるような内容の事情聴取をされ、逮捕を覚悟しました。
わたしは家族を守る為、弁護団を組んだり、資金繰りをしたりしました。財産をなげうって家族を守ろうと思いました。
しかし、翌年1月、読売新聞のスクープで、報道の流れが変わりました。
アレフの人たち、客席に来ている荒木浩さんも、妻のお見舞いに来てくれて、わたしはそれを受け入れていました。
アレフだからといって、世間が差別するのは許せません。自分の体験と重なるところがあります。

安田弁護士:
事情聴取を受けた時、死刑になるかもしれないという気持ちはありましたか。

河野さん:
わたしは入院中に報道を知って、子供たちに、「警察の誤認逮捕、裁判のミスジャッジはあり得る。このように『最悪』が重なったら、お父さんの死刑はありえる、人間のやることは、間違いがある」と伝えました。

安田弁護士:
有田さんお願いします。

有田議員:
1980年代、出版社をクビになり、フリーで活動するようになりました。
その時朝日ジャーナルが、霊感商法の特集をやっていた。そしてその頃、江川紹子さんが、オウムをやっていて、わたしは週2回くらいで江川さんと飲んでいた。その時、江川さんからオウムについて詳しく教えてもらいました。
事件から10年後、警視庁の幹部と飲み会をしました。今だから言えるといって、当時わたしの事務所にわたしがいない間に上がり込んで調査したり、尾行したり、妻も尾行したりしていたという話をされました。50人体制で尾行されていたそうです。

安田弁護士:
それだけの警察がついてて、どうして事件が止めれなかったんでしょうね。
それでは、松本さんよろしくお願いします。

松本さん:
わたしは、事件当時の関わりはありません。ただ、事件前後を過ごしてきた、ということでしょうか。
しかし、父や親しい人たちが、軒並み逮捕されて、面会や差し入れをしていくうちに、事件に向き合わざるをえませんでした。

安田弁護士:
本を出された思いは何でしょうか。

松本さん:
本を出す時は、怖くてとても悩みました。
しかし、父が心神喪失で、赤ちゃん以下で、執行される恐怖がありました。
あと、わたしがいくら教団から離れても、公安から尾行や盗聴されて、わたしもいつ何で逮捕されるか分からないという恐怖がありました。
こうなったら、もう自分から、しっかり発信できる人になろうと思いました。

安田弁護士:
では、次のテーマ「2  オウム事件とはなんだったのか」に参ります。
事件とは、狂気か、教祖か、信者か、何が問題だったのでしょうか。

河野さん:
誰もわからないんじゃないかと思います。教祖本人が話さないと。
裁判は、起訴事実のみ語られます。真相というのは、実際には分かってないし、分からないのでは。
麻原さんに喋っていただかないと。
ただ、社会の正義と、あの組織の正義は違った。

有田議員:
シャクティーパットは、暗示作用もあったかと思いますが、やはり麻原さんには優れた能力があったのでは、とも思っています。
教団は、最初はヨガのサークルでした。信者たちの入信同期も、ほとんど健康目的の人ばかりだった、あるいは真面目に悟りを開きたいという人もいたかと。
最初に信者さんが亡くなりました。それを表に出さないことで、内部の軋轢ができて、次に信者を殺してしまった。そこから隠さなければという精神が出てきたのでは。
上祐さん、早川さんは選挙出馬を反対したが、選挙に出た。
麻原さんは本気で当選すると思っていたから、落選した時、陰謀だといった。そして石垣島ツアーを行い、ボツリヌス菌の準備をした。
村井秀夫が殺されたことや、井上嘉浩の動きなどを追うと、幹部間で出世競争があったのではとも感じる。
教祖の威を借りて、動いた場面があったのではないかと。

松本さん:
わたしは、事件についてしっかり勉強できていません。
当時の教団の空気や、(囚人たちへ)面会した状況から感じたことは、事件を起こした真相は、個々人によるもので、日本人的・人間的な弱さが大きかったのではないかと思います。
父は、性格的に空気を読む、おもんばかる、人をねぎらったりとか、人から嫌われたくないという繊細さを持っていました。
そういう人を、周りの人間たちが神格化して、周りの人間が力を得てゆく。周りも空気に逆らえなくて、例えば作業についてもこれはこうでいいんですかとか、確認をしない、なんとなく、グル・・・グルというのは父のことですが、グルの意思をおもんばかる、という教義ゆえ、暴走しやすい空気ができたのではないかと思います。

安田弁護士:
共犯者たちは、マインドコントロールだったということで解決されていますが、そこのところが、詳しく、どういう思いだったかということが、法廷では全く明らかにできませんでした。そこのところを、今日会場にいらっしゃる、荒木浩さんと、永岡さんにも聞きたいです。

荒木さん:
・・・みなさんのおっしゃることは、もっともだなと思います・・・

安田弁護士:
タントラヴァジラヤーナという教義は、人を殺すことが正しいということを説いていますが、その教義についてどう思いますか

荒木さん:
わたしも、同様の教えを学んでいましたが、事件には結びつきませんでした。
「でっちあげ」だったと思っていました。
当時の空気としては・・・事件に飛躍するような感じではなかったけども、組織は大きかったので、一人一人が思い思いに動いているところがありました。
松本さんの言う様に、そういう所はあったと思います。

安田弁護士:
「尊師」の命令に、絶対従え、と言われていましたか

荒木さん:
当時はそうでしたが、あくまで一般的なものだったと思っていました。
どんな宗教でも、信仰があれば、その宗教が崇めているものに帰依するじゃないですか、そういう普通の信仰と変わりません。
宗教的な、「グル絶対」だったと思っています。

安田弁護士:
永岡さんはどうですか

永岡(英子)さん:
わたしは、今日は、おしゃべりするなと、言われてきたのですが・・・
教団の考え方について、はじめは、苦悩しましたが、マインドコントロールということは、初期から学んできました。そしてそれは、社会の中でも多分にあることだと学びました。だからといって、100%悪いものというかは、内容によります。
オウムの場合は、教祖自身が、本人の強い意思をアピールして、彼のものの考え方があり、それに同調できる人が集まり、こういう結果を招いたのではないかと思っています。
こんな結果・・・13人もの死刑囚が出るようになるとは、思いませんでした。
そして、今回、フォーラムで、こんなにも幅広く、たくさんの人が会場に集まったことも、あまりなかったと思います・・・
事件は何だったのか・・・結論はまだ出ません。


安田弁護士:
永岡さんの息子さんは教団から帰ってきましたが、同じ信者で罪を犯した方もいます。同じ信者の親として、どう思っていますか。

永岡さん:
それは、もっとも聞かれたらキツいところです。
死刑囚の親御さんとも、全員ではないですがお付き合いはあります。
子供が入信してからですから、およそ30年間、本当にお辛いと思います・・・声のかけ方は・・・今も分かりません・・・・(泣きそうでした)

有田議員:
カルトに入信する人というのは、オウムに限らず、統一教会なんかもそうですが、親子問題を抱えている人が結構多いです。そこが気になっています。
上祐さんも、自分の本で、お父さんとお母さんのことをはじめて明かしました。
プライバシーがあるのであまり言えませんが、上祐さんは「尊師は目標であり、父のようだ」と言っていました。
また、岡崎一明さんも、実の親もあまり知らないまま養子に出されました。
岡崎さんも「尊師は父のようでもあり、母のようでもあった」と公判でいっています。
父や母との、うまくいかない関係を、教祖に託す人がいるのではないかと思いました。

河野さん:
アレフの信者さんと話をしたり、井上さんや遠藤誠一さん、中川智正さん、新實智光さんと面会したことがありますが、その時必ず「なんでオウムに入ったのか」と聞きます。
みんな麻原さんの能力・・・というんですかね、特別なものをもっているといいます。
中川さんは、病気(巫病)のようでしたが、それが麻原の前では治ってしまったことで、信用してしまった。
例えば、教団内の仕事で、たくさんの報告書を出したとき、それがかなりの量で、少しだけ手を抜いてしまった、その手を抜いたところはあまり見ないで欲しかった・・・でも麻原さんは、そういうところを的確につっこんでくるとかあったようで、特別な能力をもっている人に、なっていった。彼のいうことなら、聞くこと、やること、正義なのかなと。
信者たちは、シャンバラ計画というんですか、聖地を作ろうとか、真面目にやっていた人たちです。テロをやろうとかではなく、自分たちと教祖は特別で、特別な人たちが住むところ、聖地を作ろうとしていた。そういう人たちだったのに、どこかで歪んでしまったのではないかなと思います。


つづく

2015年8月16日日曜日

高山文彦「麻原彰晃の誕生」


今更ですが読みました。

なんでもう少し早く読まなかったんだろう。

九州から東北まで、とても綿密に取材されていて、麻原がどう誕生してどう歩んでいったのかがよくわかりました。

滝本弁護士も絶賛の書のようです。

以下気になったところ引用させていただきます。




松本智津夫の幼少期〜青年期の歪みぷり(ただの不良学生)を体感していた先生の言葉。
「古くからいる教師たちは、智津夫のことをまったく信用していなかった。オウムのいろんな事件が起きても、あの智津夫が人の上に立ってやれるわけがない、だれかに担がれとるだけじゃないか、と思っていたんです。ところが、だんだん真相がわかってきた。私らは、オウムの信者たちは、智津夫に騙されているとすぐに思った。智津夫の得意なこけおどしですよね。智津夫がオウムでやったことは、もう学校でしょっちゅうやっていたことの延長です」



チベット仏教の高僧やダライ・ラマに褒められたことなどを勝手に書くこと
あるとき智津夫は、法王にこんな話もした。
「密教の修行のひとつである血管と風の修行を、私はものすごくやりました。それで目が見えなくなりました」
法王はこのときも大きく笑った。
「それはおかしいです。ほんとうは修行すればするほど、目はよくなるはずですよ」

しかし、このように言われたことは機関誌などにはひとつも書かず、麻原はひたすら自分が法王にホメられたことなんかを書いていました。実際そんなこと言ってないのに。
これはマインドコントロールの手法にも使われる「権威付け」になります。
人は、警察とか、大臣とか、博士とか、教授とか、法王とかいった地位の人たちに言われたら、そういう人の言っていることはみんな正しくて、その人が認めている人ならその人もまた素晴らしいと思うそう。



上祐さんの小言も載っていました。
すべての財産を布施し、遺書を書き、家族との縁を断ち切ってきた彼らには、帰る場所はなくなっていた。上祐史浩は教員免許をもっているある女性信者に、ぽつりと洩らしている。
「あなたはいいですね。教師の免許ももってるし、力もあるから、社会にもどってもやっていけるでしょう。でも僕は、もうもどれません。社会にもどっても、生きていけないから」

生きていけるので、大根作りましょう



身勝手なポアの思想のはじまり。
「チベット密教というのは、非常に荒っぽい宗教で・・・私も過去世において、グルの命令によってひとを殺しているからね。グルがそれを殺せと言うときは、たとえば相手はもう死ぬ時期に来ている。そして弟子たちに殺させることによって、その相手をポアするというね、いちばんいい時期に殺させるわけだね。」
智津夫がはじめて「ポア=殺人」というものに具体的にふれたのは、殺意をもって最初の殺害にいたった田口修二事件より二年前の1987年1月、丹沢でおこなわれた集中セミナーでのことだった。


「解脱者はカルマをつくらない。解脱者には自分のエゴがないから、すべての行為は必然なんだよ。たとえば、ひとを殺したとしても、それは必然だ」
 斎藤誠(元信者・仮名)はそんな奇妙な論理をふりかざす智津夫を、茫然と見つめていたことがある。最終解脱者であるということが、すべての正当化につながっていた。

オウム初期の頃、確かにヨーガはやっていて、自分のエネルギーを人のために使っていたところもうかがえる。しかし、チベット仏教の「ポア」の思想を、本来の高い世界へうつすという意味を歪曲させて説いていたのは、やはり初期の頃からでもおかしさを感じる。



麻原彰晃とは何だったのか
 ひとりの男が、壁に向かってじっとなにかを凝視している。いったいなにを見ているのだろうか。
 群衆が集まってきた。そのまわりを、新しい群衆がとりかこんだ。彼らはいつかきっとこの男がふり返り、なにを見ているのか教えてくれるにちがいないと待ちわびている。集まってきた群衆は、千を超え、万を超えた。
 じっとその場を動かず、結跏趺坐を組んで、ひたすら壁と向き合っていた男が、ゆっくりとふり向く。人びとの期待は最高潮にふくらむ。
 つぎの瞬間、彼らは、その男がなにも見ていなかったことに気づかされる。男の顔には目もなく、鼻もなく、口もない。男はのっぺらぼうだった・・・。
 そんな映像を、私は智津夫に思い描いてみることがある。

とても想像し易い映像でした。
恐ろしい詐欺師です。



井上嘉浩さんにも触れられていた。
地方都市の典型的な核家族の一員としてなに不自由なく暮らしていたはずの中学三年生の少年が、こんな詩をノートにしるしている。

救われないぜ
これがおれたちの明日ならば
逃げだしたいぜ
金と欲だけがある
このきたない
人波の群れから
夜行列車にのって

麻原の側近のなかで最年少であった井上嘉浩が(略)尾崎豊の詩をアレンジして書いた詩だ。
<このような、尾崎豊さんの歌にある詩の内容に、現代の若者を中心とした多くの人たちが共感を覚えていったという事実が存在する理由は、戦後、この日本に、経済成長とともに、「経済的に、物質的に、豊かになることが、幸せなんだ」というような価値観が広まっていった結果、そのなかにおいて精神性を失ってしまった日本の現実のなかで、多くの人たちがこの「物質主義」でできた現実のなかで、本当の自分を確かめようとし、「精神性」を必死になって見つけ出そうとする衝動を有していたからだと思います。
 一方、私たちを豊かにするはずだった物質主義は、人類そのものを破滅に導いてしまうような「核兵器」等の様々な近代兵器の開発にもつながって、「第三次世界大戦の恐怖」が現実的なものとして感じられるようになり、かつ、つぎの世代が生きていけないような「地球規模における大規模な環境汚染」を生じさせていくことにもなっていったのです>(降幡賢一『オウム法廷〈9〉』より)


おりしも、昨日は70年目の終戦記念日だった。
焼け野原の都市の写真を見ると、物質主義に走りたくなる気持ちもわかる。
わかるけど、やはりあのとき、物質やお金より大切ななにかも失ってしまったんだと思う。
井上家は、父親が家に帰らず、母親は幼稚園児だった井上さんの目の前で自殺未遂をしているので、「典型的な核家族」に分類されるのかどうか不明だけども。オウム事件をおっていると喪失された何かを感じることがたくさんある。

「麻原彰晃の誕生」は、麻原の半生を追いつつ喪失された何かに触れることができそうな一冊だった。

わたしも、他人も、きっとたくさんのものを喪失している。
でも無理に集めなくても、もういいんだとも思う。


本日は以上です。

2015年8月6日木曜日

ブラック企業の思い出

さーとしーさんがブラック企業の洗脳から解かれて復活した。
http://ameblo.jp/h29d75/entry-12058644499.html


それで思い出したのですが(というか定期的に思い出されてわたしの頭をもたげるエピソードなのですが)、わたしもブラック企業みたいのに少し関わったことがあるのです。


10年・・・・・くらい前ですかね・・・・・・まだ学生でした。

当時いろいろなバイトを掛け持ちしていて、その中で、今は亡き、派遣会社グxxxxルに登録していました。

グッxxxルについては、一時期かなりニュースになってぶっつぶれたので、ご存知の方も多いかと思います・・・


もうどのような仕事だったか忘れましたが、確か、1日だけ工場に派遣されてバランをひたすら並べるとか、そういう仕事だったかと思います。


わたしは、その頃は、ほんっとうに世間知らずのカマトト女でした。


ただ、なんとなくグッxxィルに登録して、言われた派遣先へ行って、言われたことだけして、お金をもらって帰るということになんの違和感もありませんでした。



ある日、ア・・・・アなんとかという消費者金融へ、グッドxィルから派遣されました。


※本当に店舗名は忘れましたが、たしかアなんとかだったかと思います。





そこではティッシュ配りの仕事を命じられました。

店長っぽいおじさん曰く

駅前でティッシュを配ってきなさい。

ティッシュの裏にスクラッチカードが入っているから、できるだけその場でやってもらいなさい。

それで、お客さんが当たりを出したら、「店舗に来てください、景品を差し上げます」といって店舗へ誘導しなさい。

スクラッチカードは全部当たりなんだけどね(笑)


わたし「はぁ」


おじさん
昨日の子なんて、こんなに連れてきたんだよ!


おもむろに紙を見せてくるおじさん
「13」と書いてある

わたし「はぁ、すごいですね」

おじさん
キミも頑張ってね!!
10人以上連れてきたらお給料上乗せだから!!

わたし「はぁ」





ということで、わたしは、お給料上乗せされたらイイなぁなんてぼんやり思いながら、街頭に立ちました。


そこはものすごく田舎の駅で、人なんてほぼ通らないので、たまに来る人にティッシュを配りつつ時間を余らせていました。


近くのホストクラブのお兄さんが、なぜか昼なのにウロウロしていて、話しかけてくれたりしました。仕事後遊ぼうよ〜などと言われましたが、わたしがあまりにイモかったからか、忘れて帰っても何も言われませんでした。


サラリーマン5〜6人が連れ立って通りかかったので、ティッシュを配り、スクラッチをしてみてくださいと言ったら

「あぁ〜・・・またね」

という気まずいかんじで去って行きました。


なんだか全体的に、バカにされているような感じになってきました。
一体わたしは何をやっているんだろう・・・

そう思っていた矢先、おばあさんが一人通りかかりました。

おばあさんにティッシュを渡し、スクラッチをしてもらい、当たりの人は景品があることを説明すると、おばあさんは何の疑いもなく、わたしの誘導のまま、店舗へ入って行ってしまいました。








結局、わたしはその日、そのおばあさん一人しか誘導できませんでした。

店長は残念そうでしたが、なぜだか直感的に、この店長はまたわたしの実績に「1」を書き足して明日のバイトを騙すのだと思いました。

正直、あんな人のいないところで、あんなバカにされた雰囲気で、そんなにたくさんの人を連れてくるなんて無理じゃないかなと、さすがのカマトト女も思っていました。

上乗せは残念だったけど、基本のバイト代は変わらないのだから、と思い直し、給料を受け取って帰りました。




その後、友人から、そのバイト先の評判が悪く、みんな行きたがらないということを聞きました。


給料もらってやるだけなんだから、いいじゃないかと思いました。


そもそも、わたしはそのとき、アなんとかがどういうお店なのか詳しく知りませんでした。






それから、社会人になり、歳をとって、理不尽なことにたくさん直面して、いろいろと考えたり、経験してゆき、そしてオウム事件に出会い、調べてゆくうちに、ふと、このバイトの出来事を思い出し、わたしは戦慄しました。





やらかしとる、わたし











あのおばあさんはどうなったのだろうか




無理やり借金をさせられたりしていないだろうか




最近知ったのですが、「ボケはじめのおばあさん」というのは、詐欺のカモになる

多少の物忘れと判断力の低下以外は、普通に生活しているので、家族が知らない間に借金を重ねたり、リフォーム工事などで騙されたりするのだ。


わたしは、その詐欺の片棒を担いでしまった






本当に申し訳ないことをした、という気持ちが止まらなくて


消費者金融を見たとき、バイト募集の広告を見たとき、いろんなときに思い出す。


本当に申し訳なかった。


おばあさんの大事になっていませんように。


そしてもう騙される学生がいませんように。



今、わたしは福祉の仕事についているけど、

そのころの懺悔のような気持ちも結構あります。




本日は以上です。