2016年3月17日木曜日

2016年3月13日「地下鉄サリン事件から21年の集い」テーマ:死刑についてーオウム事件を考えるー ②


①はこちら。

今日は、三人の発言者のはじめの発言を更新します。

読みやすいように、多少編集したこと、改行などを加えたことをご容赦ください。


武井弁護士「それでは、これから討論に入っていきたいと思います。ご発言される方は、ジャーナリストの江川紹子さん、そして弁護士の小川原優之さん、それから、フォトジャーナリストの藤田 庄 市さんです。どうぞ前のほうにおいでください。
それでは、早速始めたいと思います。このパネルディスカッションみたいに並んでますが、必ずしもパネルディスカッションみたいに統一したテーマについて議論しようという風に、きちっと決めたわけではないので、まあパネルディスカッション風の、発言という風にお聞きいただければと思います。わたしのほうで、引き続き司会進行を務めますが・・・必ずしも順番も決まってないので、ちょっとあの、なかなか、活発な方がご発言されるので、まあ、冷静沈着に、進行していきたいと思います。で、まず最初にですね、日弁連で、死刑廃止決定委員会の事務局長もされていますし、今年の人権大会の事務局長もされているという、弁護士の小川原優之さんの方からお願いいたします。」



小川原弁護士
今、ご紹介をいただいた小川原といいます。
わたしはですね、地下鉄サリン事件の関係で言えばですね、麻原さんの、国選の弁護人をしておりました。

それ以外にでもですね、何人かの死刑確定者の再審請求の弁護人もしておりまして、この間、そういう方たちの中にはですね、無実を主張されている方もいれば、そうではなくて、自分でやったということを認めている方もいらっしゃった。
で、それまで、法廷がほとんどですけども、被害者、ご遺族のお話を聞く機会がたくさんありました。またそれ以外にでもですね、「あすの会」という、被害者のみなさんの会がありまして、そこもやはり、死刑に関するシンポジウムをされてるんですけども、わたしのところにですね、「小川原さん、あなたは死刑に反対をしている」と、「だったら被害者の声をもっと聞くべきだろう」と、いうご案内をいただくもんですから、「あすの会」のシンポジウムにも行って、被害者の声をお聞きする機会が、それまで数回ありました。

自分で、弁護人をしていてですね、あの・・・法廷でもそうなんですけれども、意見を述べなければいけないと、いう場面はいくつも、これまでもありましたし、ちゃんと自分が弁護人としての職責を果たせたかどうか、あの、疑問はあるんですけども、そのこととはまた別にしてですね、被害者のご遺族の方が死刑を望まれる・・・その時にわたしが、どういう風に感じてきたかということも、ちょっとお話をしたいと思います。でわたしのレジュメというのが、配っていただいている(資料の)6ページに入っています。

わたしは、その、被害者のご遺族が、死刑を望んだとしてもですね、まあ、すごく自然な感情なんだという風に思います。
それと、被害者のご遺族が第三者からですね、許すことを求められるとか、許すべきだとかですね、そういう形で話をされる必要はないんだと、まぁそういう形で話をすること自体、ご遺族の方にとっては、相当苦痛なんだろうと。なんかあたかも、「許すべきなのに許さないあなたがおかしい」みたいな、そういう形で求められたらそれは、求められること自体が苦痛だろうし。被害者のご遺族の方が、その死刑廃止論者と話をすること自体が嫌だと、いうことを、おっしゃる方もいらっしゃってですね、ああそうかもしれないなという、気がします。
ただそのこととですね、被害者のご遺族が第三者からですね、「あなたは被害にあってる方の遺族・家族なんだから、死刑を望むべきなんだ」という風にいわれるのも、それもまた違うんじゃないかという風に感じます。被害にあわれた方のご遺族は、時間の経過とともに、様々に変わっていくんだな・・・いろんなことをお考えになると思うし、裁判を傍聴する中で意見が変わることもあるんだなっていうことも、わたし自身も、見聞きしてきました。時間の経過の中で、被害者のご遺族といっても変わるわけです。ですから、やはり第三者から、「死刑を望むべきだ」とか、そういう風に言われるべきではない、まして、それは、マスコミも含めて、被害者支援の弁護士も含めてですけど、被害者のご遺族に、「死刑を望むべきなんだ」と、そういう風に言うべきではないという風に、思います。

わたしは、「許さない」けれども、「死刑は望まないんだ」というような、あり方というのも、あり得るんじゃないかなという風に思います。やはりその、加害者自身も人間ですし、時間の経過の中で、だんだん変わっていくんだと、いうことを、わたし自身も自分の経験の中で感じてきたこと、なわけです。

わたしのレジュメに、日弁連の立場が書いてありまして、先ほどあの、宇都宮先生が日弁連にちょうどいらっしゃったときの宣言とかなんですけども・・・ご遺族としては、死刑を望む感情は自然なものだと思いますし、許すということを求めているわけではないんですけれども、やはり制度としての死刑、それについては、冷静な、全社会的議論が必要なんだと。

よく世論調査の結果が重視されてるんですけれども、わたしはこれは、世論で決めることではなくて、むしろ「公論」公の議論の結果で決めていくんだ、と思います。日本では世論調査の結果で言われていることが、公論を妨げている。国会や法務省で、公の議論をするんだと、しない口実に世論調査の結果が使われてるわけです。
ですからわたしは、死刑の問題については、世論に寄るべきではなくて、公論に寄るべきなんだという風に思います。

その公論をする際には、情報がたくさん必要です。わたしはマスコミの方から「どう考えてるんだ」とか、いろいろ取材を受けるんですけれども、日弁連の立場についても取材を受けるんですけれども、むしろ、わたしはマスコミの方に、わたしの方から求めたいこともあるわけです。情報の公開が必要だとか、死刑についての議論が必要だと、マスコミの方もそういうんです。だったらあなたが、法務省で「死刑の現場に立ち会わせろ」と、言うべきです。
アメリカだったら当たり前です。
なんで日本のジャーナリストはそこまで求めないのか。死刑が残虐か残虐じゃないか、ご自分の目で見て、で、我々国民に問いかけたらいいじゃないか。そういう風にわたしは、マスコミの方に対して、思うわけです。

日弁連は、死刑廃止について、日弁連っていうのは死刑存置の立場の方もたくさんいらっしゃるから、あの・・・死刑のない社会が望ましい、という前提ではありますけれども、「死刑廃止について、議論をしましょう」と、で今日三種類のパンフレットをお配りしてるんですけども、いろいろ書いてありますのでね、疑問があれば、いろいろわたしに聞いていただいてもいいし、日弁連に聞いていただいても。

もう一つレジュメの6ページの3に、「テロと刑罰の限界」ということも書きました。これも、わたし自身は麻原さんの弁護をしてた時に、「これはテロ事件なんだ」という理解をしてませんでした。わたしはそういう理解はなかったんです。ま、その場でわたしにとっては、自分の記録を読みながら弁護するだけで精一杯で、あの・・・政治的な意図に基づくテロなんだ、という捉え方まで、わたし自身できませんでした。

その時に、まぁ、その後いろんな議論があったと思うんですけども、ただ今、わたしが感じていること、オウム真理教のこの事件が、政治的な背景があって、意図があって、その政治的な権力を奪取するための、暴力的な手段なんだという風に捉えるべきかどうなのかも、よくわかっていないんですけども、ただ、刑罰で対応するには限界がある。あのー、書きましたけども、ノルウェーで、連続テロ事件がありました。その時に、ノルウェーの首相は「死刑は望まないんだ」ということを発言されます。

一方ですね、今年・・・前からそうですけども、イスラム教徒の政治犯のさまざまなテロ行為があって、刑罰の対応ってのは本当にいいのかどうか、それは、疑問なんです。刑罰での対応は限界があるんじゃないか、いう風に感じています。

わたしは、麻原さんを含めてですね、死刑は望ましくないという風に思います。以上です。


武井弁護士「ありがとうございました。それでは続いて、藤田さんの方からお願いしますか。藤田さんは、宗教関係の取材を多くされているので、そういう観点からのお話をお願いしたいと思います。よろしくお願い致します。」


藤田庄市氏
あのー、まあ、わたし・・・宗教が好きでして、宗教取材を続けています。でその、柱のひとつとして、オウム・カルトの取材というのがあるのですが、あのー、特にこのオウムに関して言えばですね、(レジュメの)はじめにの1ですね、オウム真理教、オウム真理教事件の、その内在的論理とですね、事件の有機的結合についての解明をしたいと、そういう思いをずっと持っています。
ですから、わたしにしてみれば、オウム真理教事件の根幹を究明したいんだということであります。

もちろんその、いかなる酷い行為をしたということもあります。であの、いろいろレジュメには書いたんですけども、時間もありますので、飛ばしながらいきますけども、まず、オウム事件の特異性ということについては、そこに書いてあるとおりです。

・・・その、宗教集団が起こしたんだと。「あれは宗教集団じゃない」って意見もあるようですけれども・・・それは存じてますが、宗教集団が起こした未曾有の無差別大量殺人事件であって、オウム真理教の信者っていうのは心身ともに・・・ただし、中に入っても気づかないという、これはカルト特有の・・・えー・・・信者さんの心理法ですね。

それから、事件の根幹はですね、世俗的動機である、裁判では圧倒的に世俗的動機を挙げますが、あのー、検察、それから判決ですね、(自分は)宗教的世界観である、宗教的動機であったり、やってる当人たちは宗教的確信に基づいてやってるのかなという風に、捉えています。

で、具体的にですね、どういうことかということを、お話した方がいいと思いますので、あの、土谷(正実)死刑囚ですね、土谷氏についてちょっとお話します。
土谷氏・・・法廷の中で一番乱暴だった被告っていうのは土谷氏なんですけどね、警察官に面罵したり、それから、弁護人を途中で二度解任して、審理をストップしちゃったりですね、また彼は高裁レベルでは全然出てこなかったんですね。
ただ一審の時に聞いてて、高校生の時代の、多摩川の土手歩いてるようなこう、少年時代を描写するのに、「こいつは恐ろしく純情なヤツだな」という印象を持ちました。
もちろん、ご存知のように、サリンを作った人間です。VXも作った。
彼がですね、最高裁の判決直前になってですね、ちょっと、まあ・・・改心した、っていうかね、麻原から離れた、ということを聞きまして、それで会いたいって連絡して、最高裁の判決がおりるまで、ですから高裁はもう終わっちゃってるわけですが、四回しか会えなかったんですが、普通の(拘置所の)面会ですがもちろん、その時に聞いた話とか、それからあの・・・最高裁に出した彼の陳述書のようなものももらいまして、それに基づいてお話します。

というのはあの、最高裁ってびっくりしたんですけども、国選弁護人が出てきて、それから、彼が最高裁の判決の直前に頼んだ私選弁護人をお願いしたんですね、その両方出てきて、いうことが全然ちがうわけですよね。あゆことってあるんですね(笑)僕はびっくり仰天したな、あの時、そんな裁判のこと詳しくないですから。
それを元に言いますけどね、彼はここで言いますのは、その・・・信仰の内在的論理と、事件がどう結びついたのかっていうことをちょっとお話します。

えー、入信、体験、出家なんて話はまた時間くっちゃいますので、サリンを作ってた時なんですけども、彼はあの、まぁ、幹部的ではありましたけども、けしてそんなに高い地位でないから、「これ(化学兵器を作ること)は、自衛のためだ」って言われて、作るんですね。
これは割と他の信者にも言われていたことです。それで、村井(秀夫)氏にですね、「こちらから(攻撃する)ためじゃないんだ」と、要するに自衛のためなんだと言われてて、だから、あっという間に人が死ぬんだっていう、大変な毒薬だってことは(土谷氏は)知ってたわけです。
で、村井氏が土谷氏を説得した、その説得の仕方なんですが、さっき言った自衛のためというのと、それよりもっと聞いてるのはですね、というかもっと根本的なことでですね、チベット仏教を利用しましてね、「無心の帰依」っていうこととか「無知の修行」っていうようなことを言うんですね。どういうことかっていうと、麻原は全知であり、自分たちは無知であると。
無知なる弟子たちが、麻原の指示内容の真なる意味を理解することは不可能だと。よって、理解不能な指示は、無知だと考えながら、ただただ指示されたことを遂行すればいいんだ、というようなことを、まぁ、これはオウム全体の中で言われてることですし、特にこの、「ヴァジラヤーナの実践」・・・要するに、犯罪を犯す時に言ってるわけですけども、これをまた改めて言ったと。それでここにあるのはですね、「修行だ」っていう宗教レトリックですね、思考停止にするんですが、これ、内部にいうと気づかないんですね。


それで・・・そういう説得を受けると同時に、土谷氏は修行中に神秘体験をするんですね、どういう神秘体験かっていいますと・・・オウムがいう、総美天(ソウビテン)という、一種の天界ですが、その美しさに唖然としたりですね、優しいヴァイブレーションに包まれた、という、「わたしはしばしば忘我の境地におちいった」っていうんですが、ちょうどそれがね、94年の6月なんですが、彼はもうその前にサリン作るの成功してるんですが、松本サリン事件っていうのは、その6月の27日ですね、で、つまり、事件を起こすっていうことと、サリンを作るってことと、一種の宗教体験ですね、それがパラレルになってるっていうか、一緒なんですね。

それからですね、愛欲のバルドーに放り出された時、麻原が上にいてですね、麻原が上に引っ張り上げてくれた・・・というような、そういう、イメージをしてる。
そこで彼がどういう宗教的理解をしたかというと、「いかにグルへの帰依が最上位かつ絶対か」ということに、気づいたというんですが、これが94年の12月ですから・・・まさにその、VX事件を立て続けに起こしている時期なんですね。彼は現場には行ってないんですけども、そういう風に、宗教的な体験を繰り返す中で、ワークとして、ワークは修行ですから、犯罪を、我々から見てとんでもない犯罪を犯している。宗教体験というのが、その行為の、「後押しをする」んじゃなくて「融合してる」いう風に言った方がいいと思いますね。そういうことです。

これは、土谷氏(の話)でもほんの一部ですが、あとまた続けて、ありますけども、ちょっと数分時間ありますので、(土谷氏の)入信と出家のことをいいますが、あの、彼は入信した時にですね、まず、ヨガやってたんですが、ヨガのある格好をしてですね、3時間連続してやって、頭からツノが生えてくる、ってびっくりするんですね、要するに、ここのとこ(頭頂)の、チャクラが開くということで、盛り上がる、んですね、で(土谷氏に面会時に)「今も?」って聞いたら「今も」っていうから、見せてもらって・・・まあ触れないんですけど、アクリル板がありますから、で、ちょっと盛り上がってるようには見えましたけど。
それで、(当時は)びっくりして、(オウム真理教の)支部に電話したら、「それはニクケイだ、修行するばそうなるんだ」って当たり前のように言われたと。これは他の信者もよくあることです。
で、あの、これは本当に修行できるって彼はそこで思い込んじゃってですね、まだ出家する前ですが。で、そのあとだんだん、あの、修行をしてるうちに、本格的に修行したいと思って、出家してしまうんですね。
それから、サリン製造を命じられる訳です。

これが、あの土谷氏のサリンを作る時と、彼の修行の中での現実に体験したことですね。もっと怖いことあるんですが、あとで時間あれば、付け加えて、お話しします。以上です。


武井弁護士「ありがとうございました。土谷君は、実はわたしたいオウム真理教の被害対策弁護団とも関わりがあった人なんで、非常にこう、身につまされるというか、そういうお話でした。ひきつづいて、オウム真理教を、昔から、おそらく一番古くから取材を続けている江川紹子さんにお願いします。」


江川紹子氏
えー、わたしはあの、さっき、高橋さんが裁判傍聴で、わたしを頼ってたという風に言われましたけども、あのオウムの裁判の傍聴をしていて、地下鉄サリン事件だけではなくてですね、別の事件でも、死刑判決出てますので、坂本弁護士の事件とか、で、全部で13人に対する死刑判決を聞きました。
死刑判決というのは、何回聞いても、慣れることのない、非常に重い気持ちになる・・・そういう時でありました。

その13人に対する死刑判決を聞いて、いくつか思ったことがあります。その一つがですね、教祖でありあの組織のトップであった麻原彰晃こと松本智津夫とですね、それから、例えばその地下鉄サリン事件の実行犯であった豊田とか広瀬とかと、同じ刑罰でいいんだろうかと、いうことなんですね。
つまり、死刑というのは・・・まぁ無期(懲役)の上は死刑しかないので・・・あのー、その無期のラインを越えたら、みんな死刑になるってことで・・・そうなると、この・・・松本智津夫と、豊田・広瀬が、同じ刑でいいんだろうか・・・一つはさっき、藤田さんがちょっとおっしゃってましたけども、やっぱりその教祖と、信者との関係ですよね、やっぱりその、絶対的に支配するものと、される側という関係にあるわけです。
そして彼らは何もいきなり犯罪を指示されるというわけではなくてですね、日常のいろんなことで宗教的なことから、日常的なことから、すべての関係性の中で、すべての状態でですね、そういう、この、(主従)関係が出来上がってしまってるわけですね。そういう中で、支配したものとされたものが、同じ立場はない、ということ。

それと、やはりその、裁判をかなり時間をかけてやりましたので、そしてあの時には、裁判員裁判と違ってですね、被告人質問や、あるいは被告人がずっと・・・生れてからの経過っていうものも、本人だけではなく、他の証人も呼んで、聞くことができました。
そういう中で、それぞれの人間性が見えてくる。あるいは発生の程度ですね、そういうのが見えてくる。もちろん傍聴席から見てるだけですから、完全にわかるとは思いませんけども、やはり、本当に、こう自分のやったことについて、痛切に感じる人っていうのは、やっぱり伝わってくるものです。えー、そういうのが、例えば豊田・広瀬にはわたしは感じたので、それとですね、松本智津夫と一緒くたにしていいのかということは、すごく感じました。

その(死刑判決)時、いろんなコメントを求められた時に言ったのは、やっぱり執行の順番を間違えないでほしいと。つまり、裁判が確定した順番でやるとですね、逆に、反省してるがゆえに、あまり争わずに、はやく決まってしまった人が先に、やっ(執行され)てですね、まあ争って長引いた人、あるいは、事実は間違いないのに、なんかちっちゃなことを取り上げてですね、再審を次々に請求して、なんとか逃れようとする人。そういう人が、長く生きて、反省してる人が先に執行されるなんてそういうことにはならないでほしいってことは申し上げました。

それともう一つ思ったのは、やっぱりその、オウム事件をわたしはその、坂本弁護士一家のですね、行方不明になるという頃・・・そのちょっと前から、何人かの方にお会いしましたけれども、親御さんとのおつきあいもありました。
で、そういう中で、地下鉄サリン事件のあと、オウム事件の捜査がようやく本格的に始まってですね、で、次から次へと逮捕されると。そういう親御さんの子供たちも、逮捕されていきました。
わたしはほんっとに忘れられないのが、ある・・・(信者の)親の、お母さんがですね、電話で、「喜んで!うちの息子捕まったのよ!」と言ったことです。えー・・・自分の子供がですね、逮捕されたことを喜ばなきゃいけないなんて、こんな、ことが、ほんとに・・・本当にひどい団体だと、わたしは心の底からオウムを憎みました。
そしてそういう人たちが、「喜んで!」と言った時は、最初は、それほど大きな罪で捕まったわけれはなかったんですけれども、だんだんと、地下鉄サリン事件に関わった、あるいは、坂本弁護士事件に関わったということがいろいろわかってくる。
で、そういう親御さんたちの息子も、死刑(判決)になっています。
そういうのを聞くと、被害者の顔も見えてくるけど、加害者の親の顔も見えてくると。そういう中で、やっぱりこれで、「オウムのために刑が執行されて、自分の子供が死ぬ」っていう親が出てくる・・・オウムのためにまた悲しむ人が出てくるんだ、ってことを、非常にわたしは、痛切に感じました。

でそれから、ずっと年が流れていくわけですけれども、やっぱりあの当時はですね・・・その、死刑が当然だな、って思っていた人に関しても、やっぱりその、同じ、例えば、林郁夫っていう・・・この人は無期懲役になりました。サリン事件の実行犯ですけれども。それから、坂本さんの事件でですね、岡﨑一明、というのがね、いました。これは死刑なんですけども。
両方とも、一応自首が認められてるんですけれども、林郁夫の方は自首で、無期(懲役)になってるんですが、岡﨑の方は死刑と。ただ、彼の場合は、「自分がいたから事件が解決した」みたいなことを言って・・・えー、わたしなんかはそれ聞いてて「アンタがいるから、あなたがやったから、そういう事件になったんだろ」と・・・まあものすごく、反発をしたわけですけれども、ただその林郁夫と岡崎の違いというのがですね、林郁夫というのは非常にエリートですよね。あのー、医者で、本当に優秀で、患者さんとのコミュニケーションもうまくできる人であったようでありますし、その一方でこの岡崎っていう人が、非常にその表現力がどうだったのか、っていうことも、考えなきゃいけないのかもしれない。・・・ということをまぁいろいろ考えたりもしました。当時の、わたしの発言や考えはよかったのかなーという風なことを、思うこともあります。

ただ、わたし自身が、死刑廃止(論者)か、と言われると、そうではない、ってわけです。
やっぱりその、死刑の、個々の、この人は死刑にするのはどうかー・・・っていう、そういうことと、あるいはその死刑の制度の全体の運営の仕方がこれでいいのかっていう問題と、その死刑制度があるかないかっていうことと、いくつか分けて考えなきゃいけないとおもうんですね。で、よくその、死刑制度廃止の方が、世論調査を批判される中でですね、質問の中に「どんな事件があっても死刑には反対ですか」という質問項目がですね「けしからん!」ということを随分言われていてですね、それからちょっと、質問が変わったようです。
わたしはこの質問は、正しいと思ってるんですね。つまり、制度としての死刑を存置するってことは、「どんな事件があっても死刑にする」ってことですね。つまり、麻原彰晃こと松本智津夫も死刑にしない、あるいは、それ以上の、それこそパリの事件(2015年ISによるパリで起きたテロのことか)みたいなことが起きても、死刑にしない、それくらいの覚悟はありますかってことを、やっぱり、大事なことで、それを問わなくて、何を問うんだ、って、死刑制度について、こういうことは、思っています。

ただ、その制度の存置とは別に、その死刑の制度のあり方ですかね、あるいは適用の基準とかですね、そういったことについては、やっぱりいろいろ議論をしなきゃいけないなあってことが、たくさんあると思うんですね。死刑の問題っていうと、すぐに「死刑存置か、廃止か」ってことの、両極端で、議論をするってことに、なるわけですけども、まぁなりがちだと思うんですね。
あの、わたしはそうではなくてですね、小川原さんなんかは反対なのかもしれないけど、やっぱり多くの人は、死刑廃止については消極的だっていうのは、常だと思うんですね、でしたら、死刑制度を存置する中で、何ができるかってことを、話していくってことも、大事なんじゃないかなっていう風に思うんですね。
その両極でやりあっていくような、死刑廃止の時は、「廃止っていう言葉がなければ、議論したことにならない」とか、そういうことになっちゃうんですね。
でも、死刑存置の人の中にも、いろいろな考えの人がいるし、いろんな思いの人がいると思うんです。そういったものを、もう少しこう、分野ごとにというかですね、話することが、できないだろうか、という風に思います。

特に、今は裁判員裁判で、わたしたちも死刑を下さなきゃいけないことになるかもしれないんですね。わたし自身は、裁判員裁判始まったときに、量刑についての判断を、裁判員がやるってことには、わたしは消極的でした。
ましてや、死刑の求刑があった時点での判断をするってことは、わたしは今でも反対なんですね。あの、ただ、でも実際問題、それをやってるわけですから、いろいろ行われてるってことを前提に、いろいろ考えなければならない、ということで、まあ、つい、この間ですね、裁判員裁判で、裁かれて、死刑の判決になった人が、死刑の執行をされました。

で、その人は、津田寿美年という人なんですけれども、川崎でですね、三人を殺害した、発端は、騒音問題で、アパートの中の騒音が酷い、そういうところから始まった、非常に・・・あの、ありがちな、トラブルだったんですね。そういうのにされて、三人殺害した、ということで、裁判員裁判やって、死刑になりました。裁判員裁判始まったばかりのときです。
その、裁判員の方の一人がですね、記者会見で、「これはよく考えて、出た判決なんだから、控訴しないで従ってくれ」と、こういうようなことを言いました。

この津田という人はですね、もう捕まったとき、やった直後からですね、もう部屋で、刺した包丁を壁に突き刺して、あぐらかいて、警察がくるの待ってたってくらいで、とにかく、自分の人生はこれで終わりだっていう、そこで覚悟した人なんですね。
で、弁護士さんにも、控訴しないでくれ、と、いうことを言ってたんだけど、弁護士さんはそうもいかないから、他の人たちもしてるんだししてもらおう、って言って、控訴したんですね、でも一週間もたたないうちに本人取り下げちゃって、それで確定したんです。
確かに裁判の中でのいろんな発言というのは、遺族の方を逆なでするような発言もあったと、思います。その一方で謝罪の言葉もあります。あるいはその、彼のことを非常にかばうというか、騒音がいかに酷かったかということを、他の人が証言したということもありました。
でも彼は、とにかく控訴を取り下げちゃったわけです。
そうするとですね、彼より先に、死刑が確定した人何十人もいるんですね、50人くらいいたんじゃないかなって、オウムの人たちも含まれます。だけども、その人たちは、共犯者がまだ裁判中だとか、あるいは逃走してる人がいるとかですね、そういうような理由でですね、あの・・・死刑執行できる人っていうのが、多分あんまりいなかったんじゃないかと思うんですけども、その後飛び込んだ津田さんが、執行されたわけですね。

ということはですね、その中には、明らかにやってるんだろうけども、とにかく死刑の先延ばしとしか思えないような再審請求する人もいるわけです。
そういう人が、もっと長く生きてて、反省してるがゆえに、もうとにかく一審でそれで、覚悟を決めて、毎日死刑囚だぞって思って暮らしています、っていう人もいるんですが、そういう人が先に執行されるっていうのは、果たしてどんなもんかと・・・とかですねぇ、いろんな考えなきゃいけないこと、たくさんあると思うんですね、とにかくもう時間がないので終わりますけど(笑)
わたしは、死刑と無期(懲役)の間は、どうなんだと、さっきその、終身刑って話が出ましたけど、わたしはその、終身刑には反対なんですけど、まあその、意見なんかは、もしまた、まわってきたら、詳しく述べたいと思いますけども、とにかくそういう風に、議論しなきゃいけないことはたくさんあるって思います。


0 件のコメント:

コメントを投稿